あけましておめでとうございます。


今年もどうぞよろしくお願いします。

愛用の竿が壊れた。
晦日の釣りの時にトップガイドがするっと外れた。


これはとてもコンパクトになる上に感度も釣り味も気に入っている。
昨年平塚に行った時に、危ういテトラ帯にロープで登る時に落としたのが
最初の故障で、それから数度同じところを壊しては直している。


折れたところを紙やすりで丁寧に削って少しだけ火で炙り、
瞬間接着剤を塗って素早くトップガイドを嵌めて固定する。


買い物が心底嫌いなわけではないけど、苦手な方で、
愛着のあるものを直して使うほうが性に合っている。
昨年あちこちで数十種、数百匹の魚を釣り上げ、
時には食事を支えてくれた、この竿は今や半ば手の延長と化した。


写真にあるリールは、釣りを知らない人なら特に見慣れない、
少し知る人なら「フライリール?」と思うだろう。
落とし込み、ヘチ、コスリなどと呼ばれる釣法に特化されたものだ。
複雑な機構がついた現代のリールからは程遠い、ほとんどただの糸巻き。
遠くに投げることも、早く巻くことも出来ない原始的なリール。


日本の古来の釣りには遠投する考えはなかったようだ。
ある程度竿の長さに基づいた長さの糸を使わざるを得ず、
深さを求めるなら竿は使わず手釣りになる。
竿は魚の急激な引きを吸収するためにあるけど、
手釣りの欠点はこの対応が難しいことだ。


日本に初めてフライフィッシングをもたらしたのは、
明治初頭の欧米人たちだったらしい。
軽い毛鉤を遠くまで投げる技術は日本人を驚かせただろうけど、
その時の誰かはこの糸巻きを見て、
「これなら竿釣りで深場まで届く」と思ったのだろう。
遠くに投げるための糸を巻いておくものを、
足元の深場を攻める為に使うという、換骨奪胎。
ちょっとだけ、僕の楽器と音楽の関係にも似ていると思う。


この釣り方と道具に出会わなければ、
僕はここまで釣りにのめり込まなかったかもしれない。
周りのみんなは最新のタックルでかっこよく遠くまで投げている。
僕は足元10センチ先にするすると落とすだけ。
先ず水深を測り、水面までの垂直方向の探り場所を模索し、
後は堤防の際沿いに、ひたすら歩く。
歩く速度はまちまちだが、200メートルを数時間かけることもある。
よほどのことがない限り、魚はなにか物体の近くにいる。
身を隠すこと、餌を探すこと、理にかなっている。
何も障害物がなく堤防しかなければ、魚達は水際にいる。


初めは半信半疑ではじめた。
いくらなんでもこんなすぐ近くに魚がいるのかいな、と思った。
いた。
海の中が覗けない限り、無駄に探るよりはすっと可能性がある。
ほとんどこの釣り方で全て釣ってきた。


「何が釣れますか?/何を釣りますか?」と釣り場ではよく聞かれる。
「ここにいるものを」というと変な顔をされる。
できたら釣りたいと願う魚はいるけど、僕には外道がいない。
逆に言えば「この釣り方で釣れる魚を釣りたい」と思う。


これだけ釣りをしていると、数を釣るのにはすぐに興味を失った。
出来れば大きな魚、美味しい魚が釣りたいけど、
それよりも出会ったことのない魚を釣りたい。
好きな音楽は聞いたことのない音楽、のように
釣りたいのは自分にとって未知の魚、だ。


単純に知らないだけではなく、
ここでこんな魚がいたのか!というのもよい。
そうなると、種類だけではなく大きさや個体差も楽しくなる。


正月はハードで慣れぬ生活と深酒続きからか、
珍しく体調を崩しかけていた。
心身共にバランスが悪い。
4時間の移動を経て目眩のするなか行ったのはやはり大阪港。
馴染みの海は穏やかすぎて釣りには向かない満月の夜だったが、
お馴染みのタケノコメバル、ここではなかなか釣れなかったセイゴ、
20センチを超えるのはここではなかなか出会えなかったシロメバルを釣った。
この釣り方だと「釣れた」ではなく、「釣った」が正しい。


その晩は釣った魚をすぐに食べる気力すらない疲労困憊の極みまでいったが、
釣りができる時間は全てそれにかけたい。



(最近釣った思い出深い魚達)

明日からライブが2つ続いて、週末はまた初めての漁港に向かう予定です。


ライブはこちら。
http://www.bloc.jp/daysuke/
詳しくはまた後ほど。