今回の滞在最後の日。

午前中から荷物のまとめと片付けを開始。
ここには今部屋にある荷物の半分以上はブリュッセルに置いていく。
勿論楽器を含めて。それにしても減ったはずの荷物が増えている気がする。
午前午後飯には羊の煮込みをフィニッシュ。つくづく旨い。
日本では新鮮で旨い羊の肉は手に入らないからここでしか食べれない僕に取ってブリュッセルの食事。
干し椎茸に染み込んだ羊の脂のウマさは食べてみないと分からない。


なんとか昼過ぎに時間を作って出かける。
リサイクルセンター・プティリアンへ。
めぼしいものを探すも見つからず。あ、アルコールランプは買って帰ろう。
いざという時にどこでも料理ができるのはコレの家にいたときに証明済みだ。
まさかの出会いで思いっきり好みのカバン発見。分厚いキャンバスとしっかりした革。
どこかのスイミングプール教室の備品?とにかく300円くらいなので迷わず購入。
さらにバスに乗りBOZARへ。
一大アートセンター、昨日ウィンボが写真集見せてくれて衝撃を受けた   の展示観覧へ。
ありがたい事に無料だ。平日の昼まで空いているのも良い。
50歳を超えてから写真を発表し始めたアメリカ人が撮った南アフリカの白人貧困窟の白黒写真。
一つ一つ見るたびに、なんだこれは、と声が出る。
物凄く特殊でおかしな状況設定をしたかのようだが、日常を切り取ったヒトコマらしい。
おかしい、ありえない。はっきりしたグロテスクなものや怖いものは特には写っていないのだが、
そこはかとなく恐ろしい。でもどこかユーモラスで美しい。しかし怖い。
冗談のようにすさんだ風景の中にふざけていないのにあまりにぶっ飛んでいてかえって滑稽に見える悲惨さ。
いや、哀れみを誘うようなたぐいのものではない。こんなものは初めて見た。
ふと、自分が年老いてこの廃墟のような希望の見えない町外れの家で、ボロボロになったtubaだけを家具に暮らしている姿を想像した。
おそらく、現実とそう遠くない姿なのかもしれないと思った。


他にも魅力的そうな写真展示があったのだが、彼の写真のあまりのパワーにやられて他が見れない。
表に出て王宮パレスの公園で陽光の木陰の下、偶然そこにいた友人と休む。
涼しくて気持ちの良い時間。
バスに乗って家に戻り、片付け継続。
まとまるカバンがなくて(置いていく荷物を入れているカバンはほとんど路上で拾ってきたものばかりだ)
なかなかに往生。片付けは下手だ。
合間にタイラーメンを茹でてネギを振っかけて食べる。
家主ミミが帰ってきて、挨拶とお礼。日本食屋で買ってきた美しいカップ酒をお礼に渡すと喜んでくれた。
アラブの熱い血が世話好きを加速させる超エネルギッシュレディ。ありがとう。
ちょっとばかし体調の悪いパクヤンが車で迎えに来てくれた。荷物を積み込んで出発。
ミミの家は駅から少し遠く明日の出発は朝早いのでパクヤンたちの家に一泊をお願いしたのだ。


ついたらさらに荷物の仕分けをして地下室に置かせてもらう荷物を整理する。
tubaは出来る限り分解してパーツを水洗いをしてオイルを差す。
こいつと次に会うのは冬だろうな。一番使い慣れた自分の体の一部。


携帯にメール、皆待ってるぞ、だって。
すぐそこの常連カフェ、verschurenに皆で乾杯を、だっけ。ベルギーらしく遅刻。
カフェにへばりつくようにいつもいるどこかトム・ウェイツのようなセルビア人コレや数人がいた。
この我らの喫茶室のようなカフェにも当分来れない、白ビールで渇きを癒しすぐに濃厚ロシュフォール10。
ウィンボやジム、ダニエレにイザベル、今回友人になったマイちゃんに旦那のアレック、受験に来て考えなおしたアサちゃん、
さらにさらに、友達が友達を呼んで初対面も含めてかなりの集まりになった。
昨日ちょこっと声かけただけでこの有様、これが小さくて親密な街ブリュッセルだ。
あの人ともあの人とも話しておきたい。また冬になれば会えるだろうに、それでも毎日のように会っていた彼らと離れるのは
いつだってどこか寂しい。
ミュージシャンとはこれから先の音楽の話を、友人たちとは馬鹿話を。
数えるのが馬鹿らしくなる程の国籍の違うパーティー。これが好きだ。
ここでは共通の話題から仲間はずれにするようなバカヤロウはいない、
共通の話題なんてないし、お互いの全てが分かれていて違っていて、それを興味深く話し合い知り合う。
理解を前提に話をしたりしない、風通しの良さ。
分からない知らない、は、もっと話をする原動力だ。
ここでは会話こそが最大の娯楽だ。
自分が話していなくても、この場で初対面の繋がりを持たなかった友人たちが、初めて話をする光景を見るのが好きだ。
初めに此処に来たときに、マチューは「日本橋」というタイトルをぶちあげた。
日本とここを掛け渡す橋になるんだ、という意味。この3年で僕のここでの環境は激変したが、
こうやってみんながみんなの架け橋になっているのは、言葉にならない気持ちだ。


やっぱりいつもと同じく、帰りたくないな、と思う。
友人たちは何故帰る?次はいつ来るのだ?と必ず聞いてくる。長い友人になってきた人達はいつここに移るのだとも。
ここでは、生きること自体が気持ち良い。何気ない日常の中に、娯楽はたっぷり詰まっているし、
人々は大抵人懐っこくて親切だ。なによりコミュニケーションすることを第一にしている。
社会のシステムはわが祖国よりずっと持たざる者弱者に向いているし、お金や世間体を第一にするような生き方ではなく、
日々をより良く生きようと、自分の人生を愛している人達がいる。
文無しの友達が、僕を助けようと必死で動いてくれたり、たわいない思いつきでさえもきっと誰かに取って喜びになるに違いないと、
半ば幼いまでの善意を寄せてくる人ばかりだ。屈託がないのだ。
色々なことが日本と真逆だ。勿論ここは天国ではなく社会的な問題に対する人々の不安も、日本よりずっと深刻な財政難も、
マイナス要素は山のようにある。それでも、僕はここを愛してやまない。
世界中行ったわけではないが、ここは世界一好きな街になった。
僕は「旅のtuba吹き」なんて名乗りもするが、旅が好きなのではない。
あてのない旅に出たことはないし、音楽抜きで旅をすることはほとんどない。
何故この街が好きなのかもこれほど通うのも理由は非常にシンプルで、ここには大勢の友達がいるから。
音楽は友達を生むし友達は音楽を生む。僕の友人は音楽好きしかいない。


受験を考え直したアサちゃんは今回の初めてのブリュッセル長滞在で僕同様にこの街の魅力に虜になったようだ。
まだ実の幼い葡萄の木陰で、この街の何がそんなに私たちを惹きつけるのか、話したことがある。
結局答えは出なかった。この無茶苦茶でありとあらゆるものが混在している、理解不能で、でも愛らしいこの街。
多分この街最大の魅力は、その謎にあるんだろうな、と話した。わからないということこそに。
この気持は少し恋愛に似ているかもしれない、この街の謎に魅了されているならば、おそらく長い付き合いになるだろう。
わからないのだから、ずっと好奇心と探究心が沸き上がってくる。
人々の暮らしはこの街の隣あう建物のように、あまりにバラバラだ。
似たような暮らし、というものをしている人同士に会ったことがない。
そういえば僕はこの街の建物の街並みが好きだ。隣り合う建物の年代も色も形も高さも何もかもがバラバラでちぐはぐなのが逆に妙な統一感さえ漂わさせる。
計画されたものではなく、そこに人々がどやどややってきて暮らした結果に生まれた美しい混沌。


こんなことは考えている暇もなく、ここでは皆が人と話しまくるのだ。
生きて動いているときは、混沌の中にいるので何にも自覚は持っていない。
ふとあの街で歩いた道を振り返るように、立ち止まると、こんな気持が立ち上る。


閉店のベルもなり、それでもズルズルと酒場に居続ける私等。
腹がへったのでダニエレとフリテリー(揚芋屋)へ。勿論名店バリエールの。
いつものように夜中に腹を減らせた人達の救世主はジャンクフード。
馴染みの店員が一人もいない、フリッツ大2にドゥルム、ビールなど。
戻ると店は閉まっていてパクヤンとウィンボが家で待っていた。
キッチンでウィンボの作ってくれたミックステープ(!)を聴きながらフライドポテトを頬張る。
ん?妙に油っこい。油切れが悪いのだ。おいおい勘弁してくれよ。
あのいつもの人達はバカンスに出かけたのだろうか、ちくしょうめ。
そうこうしている間に時間は3時を超え、皆は更に飲んで盛り上がっているが、次の朝が早いのでお先に失礼。
別れの挨拶をかたく、そしてベッドへ柔らかくダイブ。