リハ、タジン鍋、leffe

起きたらまた雨。
天窓を打つ雨音で毎朝目が覚める。
こう寒く雨で用事もないと外出が億劫になる。


夕方からリハ。
前回夏に来たときにはじめたアフロビーロバンド・トランスフォマシオン。
クラッピーなどでおなじみのジョヴァンニと首謀者グレッグ、モロッコ人打楽器奏者ハディ、
今回から新しく打楽器にオリヴィエが参加。言葉を交わすのは初めてだ。
彼はンゴマ系の撥打ち太鼓とベルなどを使用。
リハの場所はグレッグんちの地下にある音楽室。
こっちは極普通に自宅に音楽室を持っているミュージシャンは多い。
防音も何もしてないから練習しやすい。いい環境だ。
 

グレッグの趣味で曲はモロッコやナイジェリア、マリ、アフガニスタンにも飛ぶ。
非常に細分化しづらい日本にいるとやりなれないリズムにも慣れてきた。
ようは、数えないことだ。
オリヴィエは初めてなのでハディと相談してリズムを作っていく。
ハディはなにかと説得力のある音を持っていて、明確だ。
グレッグはちょっと原曲に忠実すぎる嫌いもあるが、僕は彼がリズミックにバリトンを吹いているのがいちばん好きだ。
ジョヴァンニのクールな鍵盤がいい対比。
時間が来たので終了。次は水曜の朝からだ。


まだまだ天気は良くなくて、グレッグが「ちゃんとしたものが食べたいから今晩はタジンにしよう」という。
ここらへん率直というか若いというか分かりやすいのだが、僕の作る名前のない料理は「ちゃんとしてないわけだ」
あ、そう。
ここらへんで彼は、いくら東洋にあこがれていても、欧州白人らしいなあ、と思う。
おっさんジャップは受け流す。


帰ってきたグレッグがタジン鍋で煮込んでいるとバンジャマンがやってきた。グレッグの友人でギタリストだ。
ものすごい面白いかたちの眉毛をしている。悪魔みたいな。
タジンが煮えるまで結構時間がある、バンジャマンとグレッグはずっとフランス語で会話していてほとんど入る隙はないので
僕は本を読んだりしている。


出来上がったタジンはインゲン豆やジャガイモたっぷりの羊のタジン。
グレッグのタジンはうまい、本場モロッコ仕込みでスパイスも本物だ。
僕のほうに会話はないのでほとんど黙々と食える。
最後のほうでグレッグの姉妹のマドレーヌがきてお相伴。
このあたりからたまに英語の会話になるが本も読む。


いまだ未読だった、大好きな米原万里さんの本。
彼女の本はもうすでにかなり読んでしまったので、読み進めたくない気持ちに襲われる。
もう彼女がこの世にいないので、残された本には限りがあるのだ。
日記風の記述で、彼女が読んでいった本たちが簡潔に紹介されている。
もうその紹介だけで、胸が打たれ目が熱くなる。
飢餓の冬に残された数少ない米を、惜しみ惜しみ一粒ずつ噛むように、読んでいく。


どこもたまらない文章ばかりだ。
みんなでうまいタジンを食い終え、
月曜日にしか手に入らない市場のおばさんのチョコケーキを食べて、
皆がフランス語の会話に熱中したときに、少し読んだところ、


大国の理不尽な干渉の結果引き起こされた、アフガニスタンのすさまじい飢餓。
「彼らは死に、さらに死に、さらに死んだ」
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
(モフマン・マフマルバブ/現代企画社)


手の中のケーキの重さが変わる。
全部手作りでおいしい、やさしいおばあちゃんの手作りの一切れ、
いつも無邪気に食べていた。
しかしこれとて、アフリカから収奪されたカカオ貿易の結果ここにあると思うと、重い。
向かいのベンジャミンは「これから砂糖をとるのをやめるんだ」と食べなかった。
そんな選択が、許されるのは、地球上の極一部の限られた人だけだ。


食べ終わったタジン鍋を見る。
ロッコにいたときを思い出す。
僕のいたところは恵まれた場所ではあったけど、ここよりももっと物がなかった。
千年前と同じ暮らしをしている人たちと、生活の中で普通に会えた。
なにかいいようのないことを、毎日感じていた。


本当に打ちのめされている。
しかもこんなに感動を与えてくれた米原さんは信じられないほど急に近年亡くなった。
僕の寿命をほとんどあげてしまいたかった。
彼女がこの世にいることのほうが、どれほどこの世に、特に日本の人たちに
多くのものを与えただろうか、と思うと。


ああ、俺なんて何なんだろう、と嘆き始めた僕に、米原さんはすでに
ひとつの文章を残していた。


ヘルマンヘッセの「クヌルプ」の引用。

一生放浪し続けたクヌルプが雪の山中で孤独に死んでいく間際、神と対話する。
自分は何も世のためにせず、ただ遊び暮らしていたと懺悔するクヌルプに対して、
神は、言う。
それで良かったのだ。家庭に安住してしまっている人々に、自由な生活へのあこがれを
かきたてる役割を、自分はお前に与えたのだから、と。
『クヌルプ』


これに僕は安住してはいけない。
音楽が、なにかでなければいけない、と自分では思っている。
なにか、は分からないけど。


今できるのは、今生きていることを誰のせいにもせずにより深く感謝することだ。
そして僕が生きているのは、音楽があるからこそ、だ。

どうも最近自分よりも若い欧州人たちと行動していて、生まれて初めて
「老い」を意識した。命は有限だ。だから楽しい。


しかし僕はつくづく「打ちのめされ」たり、「絶望のふちに叩き込まれ」ることが必要なようだ。
そうすると不思議なことに、いつも内側から希望がわいてくる。
外側から、ではない。
パンドラの最後の希望のように、空っぽの内側から最後に湧き出してくる。


猪谷六合雄、といううひとのことを書いた本も読みたい。

石器時代と現代を同時に生きる」「貧乏を恐れぬ」生き方そのものが現代文明への強烈な批判となっている、と著者はいう。
「お金のために働いたことのない」「生きることを自分の仕事と信じて生きた」稀有な日本人。
この人にとって労働は遊びであったそうだ。
戦前からアジア各地に気ままに住処を移し、世界中に家を建て、
70歳過ぎて運転免許を取得、マイクロバスを住居に改造して日本中を放浪し続け、
95歳で大往生、だそう。


意味は自分で見つけず、ぜひ人に見つけてもらいたいものだ。
僕はとりあえず今は、楽器と肉体と精神だけあれば、どこへでもいく、生きていける。


こないだのベルリンみたいに、知らない町に行くといつも思うのは
「このまま僕を知っている人たちから逃げて、パスポートを捨ててtubaだけもって
まったく違う人間になって、生きていくことができるのではないだろうか」ということ。
いまはここにいる。僕と遊ぶことを望む人がたくさんいるブリュッセルに。

グレッグたちはバーに行ったが今日はタバコの煙を浴びたくない。
(下着の中までむちゃくちゃくさくなるのだ)なので辞退。
しかしここのとこずっとしらふなんで、今日は久々にビールでも飲んで寝よう、と


夜酒屋のナイトショップへいってleffeのトリプルと9°を買ってきた。
ちょっと高め設定で1,5ユーロ、感覚的には150円x2.
日本のバーで飲んだら2本で3000円はするぞ〜とか思ったがそれ以前に売ってない。
普通のleffeブロンドは売ってて、でも十分うまいけど。
高いのはやだ。

味わうビールではやはりベルギーのものがいちばん好きだ。
チェコやドイツのものほどホップの香りはしないけど、複雑な味。


と、まあ講釈はここらへんにして、こっからは酔います。
なにせトリプルで8,5度、9°はもっちろん9度。
ビールだと結構強いのよね。ああ、うまい。

日本は朝ですね、すんません。