梅津和時x高岡大祐@渋谷BarIsshee

梅津和時as,b-cl 高岡大祐tuba


誰よりも、僕がまったく予想もしていなかった展開に驚き、そして喜びに溢れた。
梅津さんから最初の一音が出たときのあの感じは、今も忘れようがない。
勿論言葉には出来ない。


強いて言えば物凄くソロに近かった。
自分が一番良いコンディションでソロをやっていたとして
その最中に実は自分の出している音以外の音が自分の中で鳴っている、
自分はtubaという基本的に単音楽器なので基本的に一度に出ている音はひとつ、
頭や身体の中には実は別の音がなっているときが多く、ああこれがほしいなあと思うこと。
昨夜はまるでその音が実際に隣で鳴っているかのように、ありました。


僕の梅津さんに対する気持ちは複雑だった。
実にたくさんの彼のレコードを僕は持っているし、正式な共演は少ないものの
今までに手合わせしたことは結構ある。ライブだって良く見ている。
キャリアは僕の倍近く長いベテランでテクニックもタクティクスも到底及びつくものではない。
加えてさまざまな意味で底知れなさがある、と僕は思っている。
尊敬の念だけではない、特殊な気持ち。
ちょっとした魔物とやる、くらいに思っていた。


んでもって昨夜やっているとき、
なんといえばよいか、受け止めてもらえたとか支えてもらえたとかではなくて
僕の自由を最大限引き出してくれた。
今一番関心のあること、一番好きな音、一番やりたかったこと、などなどを
こんなにやれることは今までなかったと思う。
肌触りとしては外山明さんとデュオをやったときに感じたことと少し似ている、
「とてつもなく自由にしてくれるフリー」


即興演奏の究極は共演者を聴取者を自由にすることかと僕は思っているのだけど
昨日の僕は思いっきり梅津さんに自由にされた。
好きなことをやらせてもらったのではない、ここにはこの音しかないだろう、という
これしかない感じというのが延々と続く。退屈とは無縁の。
それしか吹かせてもらえないのではなく、一番吹きたいことと、一番吹くべきことが
一致しているような感覚。驚いた。ソロのときですらこれほど自由にはなれないだろう。


演奏中、とにかく僕は幸せだった。梅津和時だから、ではない。
あの音とあの音楽と自分が共に時間をもてたことに感謝する。 
現時点の自分にできる、間違いなく最高の演奏のひとつだったと思う。


店を出て、そのまま電車に乗るのが惜しくてでも渋谷には行き場はなくて 
閉店した酒屋の前にビールケースを並べて即席の飲み屋を作って語り飲んだ。
奇抜な格好をして気勢を上げる深夜の若者たちが通り過ぎるときに必ずこちらを見る。
とてつもない装飾を自らに施した浮浪者も深夜の労働者もこちらを見る。
人はそれぞれに暮らしている。俺は俺で、ものすごく幸せだと感じる。


とてつもなくいい演奏があった後にふいに悲しくなることがある。
いまだに思ってしまう。
新君、馬鹿だなあ、こんなすごいことやったのに、君は見れもしないんだよ。
成長した俺を見てもらえなくて悔しい。
成長しても俺はもう何も君に与えてあげることが出来ないかと思うと、悲しい。
馬鹿な酔っ払いの、戯言ですが。


しかし、予想もしていなかった、素晴らしい音楽の夜だった。
生きているって、俺には素晴らしいことだよ。
全然知らなかった喜びに出会える。
生きてて良かった。もうすぐ事故から1年が経つ。
あん時死んでたら、こんな素晴らしいことも体験できなかったのだなあ、と思うことが
この一年で、ものすごくものすごく、たくさんある。

明日何が起こるんやろう、楽しみやな。
毎日こうやって生きていけて、俺はうれしい。