AU FIL DU VENT(daysuke,guregoire titaux,stephane mercier)@centre

CDをコピー作業完了して外出する
何かの予感があって道を選ぶとぴったりサイズの皮のジャケットが捨ててある。
この町には古着捨てボックスがある、そこから転がり落ちたもの。
サイズは完全にピッたり、前のボタンがないだけのスーツタイプ。
ついてる。


町を歩いていると電話が鳴る。
亀山のまさるさんが、旅立たれたとのこと。
灰色の町に立ち尽くす。
出会えて本当に良かったと思う。
今際の彼が歌い踊った、ということを耳にして
自分もそうありたいと強く思った。
悲しいのは悲しい、しかし生き切ったのではないかと感じる。
昔読んだ本に「神様がもういいというまで生きなくては駄目だ」とあった。
神様にはあったことないし知らない。
生きていても死んでるような人生を歩んでいる人だっている。
死を生きず、生を生きたまさるさんに
ただ僕ができるのは想うことと祈ることだけだ。


旅に出る前に、どうか誰も傷ついたり死なないでください、と書き残した。
僕は音楽の場から立ち去ることはできない。
面と向かってさようならもいえたことはない。
ただ遠い空から、真っ直ぐ生きて祈ることと吹くことだけしかできない。


夜はいったことのない町でサックス2とトリオライブ。
ひとりは良く知らない、もひとりはグレッグ。
知らないほうも僕のこと良く知ってる、どこにいってもそうだ。
初めての公共の小ホールでの企画ライブ。
クーズ企画ありがとう。


ホールは小さいけどものすごくよく響いて気持ちが良い。
静かな観衆の前で演奏するのはこの国では非常にまれなことで嬉しい。
ステファンってサックス吹き、抜群にうまいがジャズ。
ジャズマンとインプロやるの苦手なんだよ。
かならずプレイをストーカーされるし。
どんな小さな音もきれいに響くのこホールで久しぶりに完全に集中して演奏ができた。
2ステージ中とも一度もメロディーもハーモニーも、ほとんどの場合リズムもない。
後の二人は結構ジャズなイディオム。
僕が客ならここに欲しいのは、という音をそのまま素直にやった。
何をどういわれても、これがやりたいんだ、ということをできた。
それはほとんど既存の音楽の形をとらない、不定形の雲のようだった。
前日に保護のために付けた皮の胴巻きで少し音のしまりがよくなっていたような気もする。


終わって乾杯して、まさるさんのことを友人たちに話した。
演奏中、彼のこと考えてた?それであんなに集中した演奏になったのかい?
ときかれたが、演奏中は完全に無心であの時そこにあった音楽以外のことは
自分の中に何もなかった。
これがまさしく僕である。
まさるさんとエリックシールマンスが僕の中で交錯する。
どんなときも自分であるように、どんなときも。


これから毎日続くサーキット。
楽しみでもあり平常心でもある。
今日のことがあったから、というわけではない、何時も思っていること。
僕が死んでも誰も悲しまなければいいなと思う。
毎日すべてをやりきっているし、後悔を残すようなことは日々何もない。
このぶんでずっと旅をしていると、僕や畳の上や地元の病院のベッドで
おさらばする可能性は低いと思う。
もしかしたら誰も知らないうちに、どこか遠くで、かもしれない。


今の僕は毎日やりきっていると思う。
僕にとって死んだら天国も地獄もない。
それはどちらも生きている人が思いたがるだけのものだ。


夏の事故で死に掛けたとき、そこには何もなかった。
僕にはいまのこの世が天国だ。
音楽とかけがえのない人たちがたくさんいる、今生きている世界以上の天国は
僕には想像がつかない。


どうか、どうかみなさん、元気でいてください。
頑張るとかじゃないです。
元の気でいてください。
僕は音楽があれば、いつでもどこでも元気です。

CDをコピー作業完了して外出する
何かの予感があって道を選ぶとぴったりサイズの皮のジャケットが捨ててある。
この町には古着捨てボックスがある、そこから転がり落ちたもの。
サイズは完全にピッたり、前のボタンがないだけのスーツタイプ。
ついてる。


町を歩いていると電話が鳴る。
亀山のまさるさんが、旅立たれたとのこと。
灰色の町に立ち尽くす。
出会えて本当に良かったと思う。
今際の彼が歌い踊った、ということを耳にして
自分もそうありたいと強く思った。
悲しいのは悲しい、しかし生き切ったのではないかと感じる。
昔読んだ本に「神様がもういいというまで生きなくては駄目だ」とあった。
神様にはあったことないし知らない。
生きていても死んでるような人生を歩んでいる人だっている。
死を生きず、生を生きたまさるさんに
ただ僕ができるのは想うことと祈ることだけだ。


旅に出る前に、どうか誰も傷ついたり死なないでください、と書き残した。
僕は音楽の場から立ち去ることはできない。
面と向かってさようならもいえたことはない。
ただ遠い空から、真っ直ぐ生きて祈ることと吹くことだけしかできない。


夜はいったことのない町でサックス2とトリオライブ。
ひとりは良く知らない、もひとりはグレッグ。
知らないほうも僕のこと良く知ってる、どこにいってもそうだ。
初めての公共の小ホールでの企画ライブ。
クーズ企画ありがとう。


ホールは小さいけどものすごくよく響いて気持ちが良い。
静かな観衆の前で演奏するのはこの国では非常にまれなことで嬉しい。
ステファンってサックス吹き、抜群にうまいがジャズ。
ジャズマンとインプロやるの苦手なんだよ。
かならずプレイをストーカーされるし。
どんな小さな音もきれいに響くのこホールで久しぶりに完全に集中して演奏ができた。
2ステージ中とも一度もメロディーもハーモニーも、ほとんどの場合リズムもない。
後の二人は結構ジャズなイディオム。
僕が客ならここに欲しいのは、という音をそのまま素直にやった。
何をどういわれても、これがやりたいんだ、ということをできた。
それはほとんど既存の音楽の形をとらない、不定形の雲のようだった。
前日に保護のために付けた皮の胴巻きで少し音のしまりがよくなっていたような気もする。


終わって乾杯して、まさるさんのことを友人たちに話した。
演奏中、彼のこと考えてた?それであんなに集中した演奏になったのかい?
ときかれたが、演奏中は完全に無心であの時そこにあった音楽以外のことは
自分の中に何もなかった。
これがまさしく僕である。
まさるさんとエリックシールマンスが僕の中で交錯する。
どんなときも自分であるように、どんなときも。


これから毎日続くサーキット。
楽しみでもあり平常心でもある。
今日のことがあったから、というわけではない、何時も思っていること。
僕が死んでも誰も悲しまなければいいなと思う。
毎日すべてをやりきっているし、後悔を残すようなことは日々何もない。
このぶんでずっと旅をしていると、僕や畳の上や地元の病院のベッドで
おさらばする可能性は低いと思う。
もしかしたら誰も知らないうちに、どこか遠くで、かもしれない。


今の僕は毎日やりきっていると思う。
僕にとって死んだら天国も地獄もない。
それはどちらも生きている人が思いたがるだけのものだ。


夏の事故で死に掛けたとき、そこには何もなかった。
僕にはいまのこの世が天国だ。
音楽とかけがえのない人たちがたくさんいる、今生きている世界以上の天国は
僕には想像がつかない。


どうか、どうかみなさん、元気でいてください。
頑張るとかじゃないです。
元の気でいてください。
僕は音楽があれば、いつでもどこでも元気です。