さようならマラケシュ、ハッサン、アクセル、ジャマル、みんな。

朝の準備の音がする。
毎朝のこと、マーレムハッサンが家を掃除し朝食の準備をしている。
数少ない伝統継承グナウィであり音楽的リーダーで儀式を取り仕切るマーレム。
なんだが実態はものすごい世話焼きで優しいお父さんだ。
グレッグによるといまや音楽ショー向けのグナワが多くなり、酒やタバコやナニを好み乱交する
マーレムが多い中、彼はきわめて少数派で正統なマーレムだそうだ。
そんな彼の朝の音で今日も目が覚める。


朝食はアクセルらの寝室で、今日はメロンが出た。
女性二人はそろそろ毎日のモロッコ食事に無理がきたらしい、というのはマリーだが。
僕もメロンを貰う、マスクメロンだ。ものすごくおいしい。
日本だとメロンなんてなかなか食べない、高いんだよという。
アボガドもバナナも採れないしザクロだって珍しい。
ハッサンが怪訝な顔をする。
僕らの国にはこんなにおいしいフルーツは身近じゃないんですよ。
1個何千円もするマンゴーを日本で食べさせてもらったことがあるけど、
ロッコのフルーツはおいしい。
鶏肉は捌きたて、羊も牛肉も店の軒先でつるして売っている新鮮そのもの。
市場の中に住んでいるようなここだと想像できないだろうな。


今日出発ということで午前中はパッキング中心に。
グレッグは自転車で電車のチケットを買いに行っている。
僕の衣服類はグレッグのかばんへ、グレッグの録音機材関係は僕のかばんに入る。
最後の日だからって、どこかに行くわけではない。
ここにいるのが一番好きだ。


ハッサンがシャマロッシュのバラカで使ったロウソクとこの家でのリラで使った石のようなお香を
分けてくれた。いつまでもこの人は祝福を与えてくれる。
僕は頂き物だがtubaケースについていた身代わりお守りをアクセルに、京都の手ぬぐいをハッサンに。
形を残せるものはほとんどない。ここにいた思いがすべてだ。


ハッサンは出かけてお願いしていたカルカバの小型のものを買ってきてくれた。
表に出れば土産物屋ではカルカバだらけなんだけど、本物と偽者があるらしい。
ほとんどただのみやげ物だとハッサンは言う。彼のお墨付きなら間違いない。
シュクラン、マーレム。


昼過ぎの時間はただ遊びあい話し合いじゃれあい笑いあっていた。
 
 
巣晴らしい毎日の日常。
会いたかったジャマルも来てくれた。
ここぞとばかりに全力で遊びまくる。
彼に会えたことが本当に嬉しい。
こんなに気持ちのよい男の子には会ったことがない。
年はいくつなのだろうか、まだ10歳は行っていないだろう。
働き者で細かいお使いも何の文句も言わず進んで行い、
よく遊びよく笑い、ずっと一緒にいた。
きっと良いグナウィになると思う。
いまのうちから立派に歌っているからいずれはハッサンのような立派なマーレムにも。


リラの間、あまりに歌声が大きすぎると誰かに窘められて、ふさぎこんでしまい、
場の雰囲気を乱すと、大人たちが引っ張り出そうとしても、意地でもその場を動かなかった彼。
一度決めたら梃子でも動こうとしない姿に、子供のころの自分を見るようだった。
彼の笑顔を見るだけで、心が豊かになった。
 

ありがとう、ジャマル


客間でハッサンとグレッグ、マリーやアクセルまでもがまるで幼い子供のように
たわいもないことで笑いあって一緒になって遊ぶ。
ここでは本当に僕は子供のようだった。
こんなに笑い、そして微笑み、感謝し続けたことはなかった。
子供のころに失った何かを取り戻す日々だった。
アナ ファルハーン シュクラン。
 
 


いよいよ時間だ。
全員と何度も抱き合い頬にキスを寄せる。
いつかは帰る、でも帰りたくない、でも帰る。気持ちは動き続ける。
道に出て、近くの車道に出て歩く。
通りすがりのタクシーを呼び寄せ交渉し、やはりここでも断り続けるハッサン。
ああ彼は彼だ、この頑固さ、ジャマルはまさしく彼の子だ。
何度かタクシーを断り引き戻し、思っていたよりも早めに捕まえることが出来た。
あわてて荷物を積み込む、まだ心の準備なんて出来てない。
そんなものはいつまでも出来ないのかもしれない。


何度も何度もの、そして最後の抱擁を交わす。
僕に新しい名前までくれた、モロッコマラケシュにいる、僕の家族たちへ。
最後にジャマルに彼が気に入っていた鼻笛をあげる。
マジックで「monami(友達)ジャマル ハムダ kiss 祝福」と書いておいた。
バラカを無理やり訳すと祝福だと思う。
意味なんて違っても構わない。僕が受けたものは、祝福だった。


さようなら、マラケシュ
僕はまた必ずここに遠くない未来に帰ってくる。
旅先はいつも友達がいるところだ。
おまけにここには家族のような人たちがいる。
排気ガスと土ぼこりと人ごみと喧騒にまぎれてあっという間に彼らの姿は見えなくなる。


毎日別れの日を想像して大泣きするんだろうと思っていた。
以外にも涙は出なかった。
別れのときは、泣くにはあまりに楽しすぎる時間だった。
幸福が別れの幸せを覆い尽くした。
 

タクシーを降りてマラケシュ駅へ。まるで別の国に来たようだ。
 
足元に馬糞のひとつも落ちていないと落ち着かない。
発車の10分前、席も書くできてラッキーだ。
夕暮れの車窓を眺め続ける。
乗り合い席には老人と若い女の子と金もちっぽい母子と僕らだ。
僕ら以外は全員モロッコ人、まったく初対面なのにこの人たちが良く話す。
知らなかったら家族だと思うだろう。
日本では絶対にありえない光景だがこちらでは良くある。
フランス語オンリーなのでグレッグに話しておいて貰う。
僕は夜がやってくるまで外を見ていた。
ロッコでは月が驚くほど大きく美しい。赤く輝く月が荒野に沈む。


何度か停電や停車を繰り返し、列車は無事に40分遅れでカサブランカにある駅についた。
降りるといきなり客引きが来るがもちろん全部ノンメルシー。
グレッグが泊まったことのあるという駅から一番近いホテルに入る。
一人9ユーロ、高いというが、駅から歩いて1分くらいだし荷物も多いしもういいよ。
恐ろしく愛想のないホテルマン。
ともあれ無事にチェックインできたことを喜び外を散策。


あたりはほとんど何もやってなくてビルばかりが目立ち人通りもなく閑散としている。
メディナの喧騒に慣れている身にはかなり不気味だ。
ごくたまにやっていると思ったら日本にもありそうな偽ヨーロッパなぴかぴかのカフェ。
グレッグが知っているものすごいおいしい菓子屋にいったら閉店したところでノックしてもダメ。
さびしい街を引き返すが本当に何もやってない。
一軒あいている店にたどり着くがいわゆるベルギーにあるスナックと一緒。
店の人に聞いたらここは中心地からタクシーで2,30分は離れているから何もないよと。
しょうがないので嗅覚をきかせて歩く。
途中で果物屋に入って物色し買い物をすると矢鱈に高い。
見ると輸入ものの果物が多い。店員の愛想もまったくない。
いくつか返品し安いものだけゲット。


この街にはまったく魅力がないのか。
やっと見つけた地元民用のまともな店はチキンの丸焼きしかやってない。
それでも腹ペコの僕らは入って食べる。
中には白人もアジア人も誰もいない。
ひとりにつきハーブとスパイスの効いたオリーブたっぷりのチキン半羽、それにポテト。
ロッコパンで食べる。ちょっと焼きすぎだが味は悪くない。
二人で70デュラムはお得感はそんなにないがなかなか満足。


宿に戻る前に水を買いに行ったらお菓子とかあるのでそのまま入店。
頼んだお菓子はそれほどおいしくなかったが、アボガドジュースはジョッキで山盛りだった。
ここもグレッグによると安くないという。
この街はいったい何なんだろうか?
興廃した街の雰囲気、人気のなさ、人々は陰気で暗い。
メディナの強欲でも活気のある町とは別世界だ。
マラケシュを出た時点で僕らのモロッコの旅はほとんど終わったんだね、ってグレッグと。


彼とこれてよかった。
6年ほど前にモロッコに来てマラケシュのあの広場でハッサンとであった彼。
交通事故で倒れ、見舞いに貰ったCDの中にハッサンがいることをここで知り驚いた僕。


昨日山道を一人で降りているときにふと思った。
この出会いが偶然か必然かは分からない。
これは道のようなものだ。
まちがいなくそこにあるのだが、誰でもたどり着くわけではない。
ある瞬間、ある出会い、あるひらめきや自分の生き方が、どういうわけかその道へたどり着かせる。
運命などではなく、自分のすべてが自分の歩む道を決める。
ここにこれた自分にも、感謝をしたい。
僕はここで、僕に会えたよ、というと、グレッグはとても嬉しそうだった。
彼にとっても今回の旅は特別であり、今まで生きていて一番強烈な体験だったそうだ。
毎日たくさん大切なことを話した。
彼は初めて日本であったときに僕が話したローランドカークのブライトモーメンツの話をを覚えていた。
そのすべてを思って、僕をここに誘ってくれたのだ。
お互いのことをホヤ(グナワの言葉で兄弟)と呼び合うようになった。
ここに彼と来れて、とても嬉しい。
また来よう。
アナ ファルハーン、私は、幸せです。


ホテルに戻ると満腹と疲れで早めに就寝。
明日は6時半おきだ。