シャムロッシュでバラカ、下山、マラケシュ最後の夜

朝方、もう寝転び疲れてしまい、その割には身体の自由はなく寒くても良いや、起き上がりトイレへ。
晴天だ。戻るとハッサンが起きていて嘲笑の準備をいているので手伝う。昨日の片付けや洗い物。
近くの水道から水は出っ放しで水は雪解け、恐ろしく冷たい。
まるで雪の中に手を入れているかのようだが根性出して洗う。
あとでハッサンがお湯であっためてくれた。


みんなで朝食は白いヴィサラとパンと。
みかんが思い切り冷たい。
腹心地もついてハッサン先導で歩く。
マラヴを越えると雪山から川が降りてきていてそこへ下るとマリカと名のついた聖なる滝がある。
水で手を洗い頭や顔にかけて清め、崖にロウソクを灯す。
ハッサンがバラカを授けてくれる。
やはりマーレムはタダのバンドリーダーではなく司祭なのだ。


崖の向こうから羊の群れが信じられないような勾配を楽々とやってくる。
頭上には鷹が舞い、険しい岩山とその向こうに大いなる雪山。
足元にはやせた猫の家族がうろつき、岩肌の間には生贄になった動物の遺骸が散乱する。
足元には特徴的な斑紋のある石、高山らしい棘の多い低木。
厳しい自然が人間の暮らしを浮き彫りにする。


ついにマラブに入ることになった。
巨岩の下に直線を描く入り口から奥に入ると部屋があり、タムスロットのマラヴと同じように
掛け軸やタイルが壁にあるが天井の一部は白い岩がむき出しだ。
奥のくぼんだ辺りには緑色の布のかかった聖廟があり、ちょうど人の大きさくらいでリアルだ。
一堂底に位置つき待っていると頭に布を巻いたおじさんが茶セットを手にやってきて、追って
昨日も見た足の悪いおじさんもやってくる。
この人とハッサンの間で激しいやり取りがある。
おそらく明らかに非イスラムである僕らのことだと思う。
足の悪い男は右足の甲から先が切断されている。
フナ広場でまったく同じような足の男を見かけたが別人だろう。
口論が切れぬままにどうやら許されたようで、足の悪い男は脇に座り強く唸るように詠唱を始めた。


今まで聞いてきたどのような声とも歌とも違う、強い存在感。
余分な意識がなにもないのに、ふと音楽的に聞こえてしまう。
何百年も変わらないものを感じさせる。
少しだけ恐怖と紙一重だ。
この間、僕らは聖廟に跪き手をかけ頭をつけて伏し、願いを祈る。


長い詠唱が終わると近くに呼び出される。
このころにはマリカはリタイアして外に出ている。
僕とグレッグはハッサンに先導され足の悪い男のところへ行く。
バラカを授けられるに当たってお布施を要求される。
ここではどこに行っても前に進むのに金が必要だ。
結構大きい額の札を置いたグレッグは首に白い数珠をかけられバラカを受ける。
グナワで受けるものとは全然違う。
間にイスラムという言葉が何回も入る。
応答する言葉もアミ、ではなく別の言葉だ。
〆の皆で行う詠唱だけが同じものだ。


続いて僕の番、この人は顔も声も結構怖い。
迫力のある詠唱のバラカ。
僕の場合だけ頭を両手でつかまれ、今度は歌うような美しい詠唱を受けた。


終わったあとにベルベル語だろうか、強い語気で何か言うのをハッサン、グレッグ経由で訳してもらう。
これまでもこれからも、僕は幸せとともにあるそうだ。
ロッコに来て、何度も別の人たちからこれを言われる。
本当にそうなのだろう。
聖廟に願いをかける時も、このときに自分の願いを込めろというときも、
僕には自分に願うことが何もなかった。
自分はここあるだけで幸せだ。これ以上何を望めというのだ。
願うのは友人や大切な人たちの幸せだけだ。


最後に足の悪い聖者が突然茶のために火にかけていた熱湯の入ったやかんを手にし
直接口にした。
熱湯を口に含み、順々に僕らに吹きかけていく。
これが最後のバラカらしい。
以前ネットの日記でモロッコには熱湯を飲む大道芸人がいる、と読んだことがあるが
それは大道芸ではなく、このことなんだろう。


強烈な時間が過ぎた。
表に出るとふらふらだ。
このあと僕はマリカの滝に戻り、水を浴びないかといわれる。
こうなったら何でもやるぞ。
ハッサンに身振り手振りで聞いて上半身と靴と靴下を脱ぎ、裾をまくって水に入る。
想像していたよりは冷たくないがもちろん冷たい。
足元は苔で滑っておぼつかない。
滝に出来るだけ近寄り、両手で水をすくい頭からかぶる。
日本にもある禊の水垢離だ。


日差しは少しあったかくなってきており寒いは寒いが気持ちよい。
あとからやってきたグレッグもぜひやりたいというのでやり方を伝えたら
純なグレッグは僕とは違いズボンがびしょびしょになるのも構わず滝の中に身体を突っ込んだ。
これは大変だが、グレッグは満足そうだ。


家に戻ってグレッグは着替えてズボンを干す。
僕は日向ぼっこをしながら日記のメモを書く。
今回ペンを手にとって紙に走り書きしている。
相当な文字数でこんなに文字を書くのは久しぶりだ。
見上げるとそこには美しく険しい岩山と雪山。
僕が絵描きなら絵を描くだろう。
楽器を持たない音楽家である僕は、歌を歌いながらペンを取る。


気がつけば昼飯の時間だ。
天気が良いので家の上にテーブルを出して食べる。
野菜のタジンは昨日と同じ。
今日は下山するだけだから気兼ねなくたくさん食べる。
売店で卵を買ってきているので薬缶でゆで卵を作り半熟でタジンに落とす。
パンでぬぐうように食べる、とてもおいしい。


ゆっくりと帰る支度をする。
部屋の掃除や洗い物等。
ハッサンは近隣の人たちと話すのに忙しい。
グレッグと話していた、ここには神がもう行ってもよいというまで
何年も暮らす人たちがいるという。
聖者は僕らにひと月ここにいてみないか、といっていたらしい。
グレッグと僕は、もし楽器をここに持ってくるならば、と応えた。
それも悪くないと思った。


ついに出発だ。
僕は自分の荷物は最小限にしている。
グレッグはみなの荷物を結構まとめてもっていて大きなリュック。
僕は食料のあまりや日用品が入ったバッグを持つことにする。
これがやっかいで、いうと巨大な買い物袋みたいなものだ。
スーパー玉での大きな袋3つ分に大根とかたくさん入れて2500m下山するようなもので
想像するだけでちょっとうんざりだ。


下山は徒歩で。どれほど時間がかかるか分からない。
シャムロッシュの村はあっという間に小さくなって消えた。
同名の聖人はどこに眠っているのか今も謎のままだという。
聖人、村、山、同じ名前。
またいつかここに帰ってくるような気がする。


ロバから見た風景を逆回しに見る。
勾配は時に急で足元は石で危なっかしいが、慣れてくると大丈夫だ。
手持ちの荷物も思っていたより辛くなく、普段tubaもって歩いてばかりいるのと同じくらい。
山の下り方が分かってくると楽しくなり、どんどん進んでいく。
一行と一緒にいても僕はフランスの会話にはあまり入れないし、山にいるときは一人もいい。
勝手にどんどん降りていく。
思っていたよりも速いペースで降りれている。
賽の河原をおもわせる川原まで着くと昨日と同じく石堀の男たちがいる。
ロバに乗っているときは視点が足元で見えていなかったが、この川原は広大で行く道を少し失う。
適当に向かっていると一人の石掘りから指差され道を教えてもらう。
シュクラン。


途中から人家も現れ道は車も通れるようなものに変わる。
このへんで皆を待つ。
ハッサンはともかくアクセルはかなりきつそうだ。
山を降りるのは結構体力と筋力を使う。
途中からまた石の獣道に戻り村へ最後のスパートだ。
この辺はいくつかの降り道があり、グレッグと僕は一番険しいコースを選んだ。
お菓子を食べながら楽勝で降りれる。
ちょっと早く降りすぎたようで何度か追い越された下山客に何度も会った。


黄色い葉の胡桃の林が現れやっと人里が近くなってきたことを知る。
冬から秋の様相へ変わる。
ふもとからロバが荷を負って登ってくる。
このあたりでアクセルは元気になり笑顔も見える。


商店があらわれ、ふもとの集落に到着。
ほぼ2時間の下山だった。
昨日来た時はさびしげに見えたこの山への出発地がとても賑やかな街に見える。
早速タクシー乗り場に向かうが、危惧していたとおりここでは選択肢が少なく
いきなりかなり高い値段を突きつけられたようで、ハッサンは絶対よしといわず
乗り場付近から降りてしまった。
何もないところでぼけーっとまつ。
なにやら言っているらしいのは、もしタクシーが高ければここに泊まれば良い、といっているようだが
他のみんなはそれだけは勘弁、という顔。
僕はいつもここでは流されるだけだ。


下で待っていると何台か車が来るがハッサン交渉して首を縦に振らない。
結局一番最初に聞いた車らしきものの乗る。少しは安く出来たみたい。
来た時はリアシートだったが今度は助手席でマリーと二人。
こちらでは定員という言葉はない。
ものすごい窮屈、最初のうちはいろいろ話していて笑っていたが疲れも出てきてうとうととする。
車内は静か。
1時間半くらいだったろうか、してメディナのタクシー乗り場に到着。
そこからまあまあの距離を歩いて家に到着。何とかこの迷路のような町の内部も少しは覚えてきた。


夕食はハッサンとグレッグ、野郎だけでとる。
あとで聞いたのだが、三食あったかい食事を取るのは健康なときは平気だが
疲れているときや体調の悪いときはとてもじゃないが無理、とマリー。
日本人とは逆だなあ。冷たい食事ばかりが続くと身体が冷える。
やはり白人は身体をあっためるのが苦手なのだろうか?


食事時にちょっと金銭関係の話になって雰囲気が気まずい。
自分は脆弱なのだと思うが、金の話しながら食事を取る神経がない。
せっかくの最後の夜のタジンの味があんまりしなくて残念。
でもうまかったよ、シュクラン、グレッグ。


最後の夜だからといって特別なことをするわけではない。
僕が気まずい顔をしていたのをハッサンが気にしていたので、なんでもないよと言う。
この人はとことん優しい。
グレッグとまたこのたびの素晴らしさを話した。
特別なことをするわけではない、何をしていてもそれは特別なことで、当たり前のことだ。
夜中に来客があったようだが疲れもあって早めに就寝。