specqil,meet with mama,be a family

家の中にいるとすぐ外の喧騒を忘れます
穏やかな朝 みんなで屋上のテラスで日に照らされてぽかぽかと
気持ち良い朝食
マーレム自身が作ってくれる朝ご飯
やけにオレンジジュースがおいしいとおもったら
生オレンジをマーレムが絞ってくれていた
パンケーキのような歯ごたえのあるものにたっぷりバターとはちみつ
昨日屋台で買ってきた生のミントティ、フルーツにはいつもザクロ
 
 

いま家人が、おばまが勝った!
と叫びました。
ここはアフリカ、みんなが喜んでいる模様。




ちょっとネットを借りていると階下からゲンブリの音がする。
むずむずしてきてネットなんてやってられなくなって放り出して下へ。
グレッグがゲンブリを弾いてハッサンが教えている、横にはマーレムの息子なのか孫なのか、
家族であるのは間違いない幼いマジャルがカルカバをやっている。

たまにマーレムについて幼い声で歌うのである、タダでさえかわいいのにもう滅茶苦茶かわいい。
tubaを出してあまりついていかずにフリーに歌うように吹いてみる。
ハッサンが弾いているときはちょっと気が引けてしまいなかなか吹く気になれない。
またしても楽しいひと時のあとに、今度は出かける準備。
今日は予告どおりハッサンのお母さんにおうちに行くのだ。
ハッサン、アクセル、グレッグ、マリーエレンと僕で出発。


メディナの中心地あたりからスークと反対のほう、宮殿が結構近い方へ。
マジャルは大人用の大きな自転車を引いている。
 

途中で回廊でサッカーをしている子供たちがゴール代わりにしてボールをぶつけていたのが猫だった。
はじめてきたときに頓珍漢なタクシーの運ちゃん(どうもあとで聞くとそういう振りをしていたそうだ)
がタクシーで通った団地街のあたりだ。
そのひとつの最上階へ上る。
マジャルよりずっと小さいこれまたかわいい子とお母さんらしく人、青年と
しわの多い老婆がいる、彼女がお母さんだ。
アッサラームアライコム、両頬にキスの挨拶。
けして広くない客間のソファーにお邪魔したみんなで腰掛ける。
お母さんはキッチンにこもってなにやらしている。


最初に水の入ったたらいをハッサンが持ってきてみんな手を洗う。
そのうちお昼ごはんが出てきた。
いつものモロッコパン、レンズマメの煮物、魚の姿揚げだ。
魚は日本を出て初めて食べる、いただきます。
とてもおいしい。
ここで写真がないのは、ちょっと胸が一杯で食事が出るまでも撮れていないのだ。
なんかみんな家族みたいで、ものすごく暖かくてそれでいて普通な感じで。
なんにもしていないのに涙がこぼれそうだった。
ご飯がおいしくて、一杯だった胸がやっと少し通ってきた。
お茶をいただいて、果物も出て少し歓談していると、いきなり何かが始まった。


お母さんがガスボンベに直接火をかけれるようにしたものに鍋を温めている。
最初はこれが料理用なのだと思って記録に写真を撮っていたのだが、どうやら違う。
不定形の金属の塊をひとつ手渡された。
これを手に持って頭上で3回、胸の辺りで3回、ひざのまわりを3回まわすのだという。
最後にそれを胸において知りたいことなどを思い手渡す。
アルドゥールだ。
全然予備知識がないのだが、巫女であるグナワの女性がやる過去視、現在視、未来視らしい。
彼女はその本物中の本物だということだ。


さっきまで普通にご飯食べていたところでいきなり儀式が始まってしまって焦る。
心の準備もへったくれもない。


言われるままにお母さんに手渡すとそれを鍋にかけ蝋の塊のようなものを削って鍋にくべる。
そうすると高温で金属が溶けて液体になる。
それを水の入ったたらいに流し込むのだが、そのたらいを両足ではさむようにして
上がってくる煙を下半身から全身に浴びるのだ。
ものすごい臭いがする。
水の中で音を立てながら一瞬で金属が形を成す。
それをお母さんは取り上げて見る。
彼女はモロッコの言葉しかしゃべれない、それをハッサンがフランス語にしてくれて
グレッグが英訳してくれる。
上記のことを3回繰り返すという。


お母さんが語りハッサンが手にとって見せてくれながら説明してくれる。
形を見ながら説明してくれるのだが、これがうまくいえないのだがものすごいわかりやすい。
細かいところは省いて大まかに言われたことをまとめてみる。


1:グループか個人かそのどちらかに、2つの進むべき道がある。
  いままでにとてもよいことと悪いことが同じようにあった


2:穴(もしくは死)に落ちかけたが、周りにたくさんいる多くの友と神があなたを引っ張り上げた。


3:今もとても幸せだが、これから(自分の望むことで)とても幸せになる。


4:いつも強い力で守られている、どうやら神とともにあるようだ。


その場にいて、金属の形を見ながら、お母さんの声とハッサンの声と表情と、
その場の雰囲気すべてを見ていないとどうしても伝えられない。
ものすごく真剣味に満ちていて、お母さんはもうすごいパワーで。
ここには書いていない非常に個人的なことも含めてかけないこともあるが、
解釈すると過去視にかんしてはほとんど当たっているといえる。
事故のことは知っているグレッグが英訳するときに驚きを隠せない。
ハッサンもお母さんも何も知らないのだ。


3つまでのはずが4つあるのは、お母さんが4回やると急に言ったのだ。
これは異例のことらしい。
何度も、とてもたくさんの友達が周りにいることと、何かに守られていることを言った。
本当にそうなのだと思う。
涙が出そうだ。
最後に金属を冷やしていたたらいの水で手を洗い、手についた水で頭髪、顔をぬぐい清める。
バラカ、といってエナジーヒールとラックの同様の意味を持つ行為だそうだ。


このあと順番にみんなが同様に視てもらっていた。
僕はそのあともどうしても考えることや感じることが多くて一人でいた。
なにか大きなものに触れたようだった。
こういうこともあるのだ。
世の中には何でも起こる可能性がある。


ひとりひとりやっていってかなり時間がかかる。
視ている時のお母さんの顔を見ていると、ご飯作ってたときとまったく顔が違う、
目つきが尋常ではない、異様に寄っていたりする。
こんなに時間をかけて、わざわざ手間をかけて適当なことをするはずがない。
あとでお礼をわずかに払ったのだが、どこの世界に小額のお金のために、お茶やご馳走を振舞って
こんな手間暇かけて適当なことを言う人がいるだろうか。
しかもグナワの司祭とも言うべき重要人物であるマーレムであるハッサンのお母さんマシュバである。
私たちはその息子の客人であるわけだ。
ああ、うまくいえない。


何時間が過ぎたか、異様に濃密な時間だった。
身体が温泉に入りすぎたあとの湯あたりのようにぐったりする。
そういうものだそうだ。
最後にハッサンとマジャルもやって、みんなでカフェオレを飲んで終了。
本当にすごい体験だった。文章や伝聞では伝えようがない。
 
 
 

夜ご飯の買出しに行くことになりみんなでセントラルに出かける。
ハッサンは用事があるようで途中で待ち合わせを約束、グレッグとアクセルとマリーと僕。
ぶらぶらとこの町はいつまで歩いても飽きない。
もう異常な排気ガスも無法運転のバイクもロバの馬車も慣れてきた。
風景の珍奇さはまだ面白くて楽しいが、落ち着いてきた 。


フナ広場あたりでハッサンを待つ。
ちょっと時間があるからグレッグと屋台でオレンジジュースを飲む。
こんなに売れるのかと思うくらい山のように積み上げてある。
1杯数十円、ものすごくおいしい。
日が沈み始めて広場ではミュージシャンたちの演奏が始まった。
ハッサンはなかなかやってこない。
何度か演奏しているほうへ散歩してみる。
立ち止まって20秒もするとしつこく金をせびられるので、歩き回りながら
こっそりと町の風景のようにラフに録音をしてみる。
膝たてバイオリンやバンジョー、ベンディールやダラブッカ、カルカバ、大声の歌、
ここら辺にあふれている音楽は金のためのモロッコ音楽であって
グナワの形でも伝統的な本物ではない、と皆は言う。
その大衆的なシャービーにも僕は激しく反応する。
野卑な荒々しさに興味を覚える。
リズムは非常に複雑だ、帰ってグレッグに一番シンプルなリズムを教えてもらう。
これも録音した、帰国したら何かに生かしてみよう。
 

かなり時間がたってからハッサンが自転車で登場。
こちらに来てから時間のことが気にならなくなってきた。
一緒にあまりいったことのないあたりへ向かう。
パンや果物、いろいろなものを別々のところで購入。
鶏肉も買ったみたいだが、どこで買ったか見れなかった。
家の近所の鶏肉屋は、タバコや位の小ささで、タバコがおいてあるに当たるところに
ぎっしりと生きている鶏が詰められていて、すごかった。
目の前で絞めて捌いてくれるのだろう。


いろいろ袋に詰めたものを分担して持ち帰る。
またお母さんのおうちに戻ってソファーに落ち着く。
みんなで買ってきたザクロを剥く。
大きな鉢に一杯になったところで皆でつまんで食べる。


そうこうしているうちにお母さんが大きな皿とパンをもってきた。
鶏が丸ごと一匹煮られている。
ソースもたっぷりでオリーブとレモンもたくさん入った、これぞモロッコ家庭料理、だそうだ。
ものすごくうまそう。いただきます。
いや、これがうまい。
やっぱり外で食べるより(そんなに食べてないけど)家庭料理を食べるのが一番僕には嬉しい。
本当においしいし、めったに食べれるものでもないし、本当にそこの人たちが食べているものだ。
首の辺りには日本で食べるせせりのような食感で、内側のほうには内臓もついている、モツだ。
特に内側のほうに来るとにんにくやハーブが効いていてこれがうまいのなんの。
ソースが無くなるまでパンでぬぐい、骨の周りをすべてせせった。
日本で食べるように両手で持ってかぶりつけないのが少しもどかしい。
うまく右手で処理するのだ。
本当においしかった、ご馳走様でした。
 


このあとお茶を飲んで歓談し、テレビでニュースなど見て(オバマのニュースが多かった)
退出する。
お母さんにはビタイチ言葉が通じないのだが、全身と表情を使って感謝の気持ちを伝える。
本当に嬉しいときに言葉はなくてもなんとかなるものだ、と思う。


通ったことのない道を通って帰る。
大きな壁がえんえん続いて遠近感が狂うまで歩く。
ここにきて本当に良かった、という話をグレッグとする。
彼は何度もここに通っている、皆には休日やグナワ音楽を学ぶためだけに来ていると思われる、
そうじゃないことをこちらも肌で実感する。
彼らが僕のこともこれからもう家族だ、といっていたらしい。
一緒に机を囲み、食事を取り笑顔になっていたときに、同じようなことを感じていた。
この家族感、すばらしいと。


グナワというのはそんなに知られてはいないがモロッコのトランス音楽であるとは知っている人は知っている。
ただ、グナワはただ、音楽であるだではないのだ。
マーレムの家に数日でも一緒に暮らし、こうしているとなんとなくわかる。
すべてがグナワなのだ。
同様に音楽は、演奏しているときだけの音楽ではないのだと思う。
その人の生き方のすべてが、音楽とつながっているはずだ。
以前から思っていたことがますます強くなる。
音楽は、生き方だ。
これからも僕はそうやって生きていきたいと思う。


結構遅くになって家に到着。
なぜか普通人気のない家の前で誘うように若い男の子たちが踊っている。
それぞれにくつろぎ、夜をすごす。
今日も僕にとっては特別であり、普通の人間らしい暮らしがあった。
明日はいったい何が起こるのだろう。