D/A

この日記は非常に個人的なものです。
読んで楽しい気分になることはないと思います。
なのでそういう気持ちでない方は読まないほうがよいと思います。
友人・鈴木新のことについてです。

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渋さ知らズで一緒だった、というより僕には別の思い出がたくさんある。

僕が渋さに参加当初、彼は在籍していなかった。
小さなライブハウスのタイバンで意気投合した。
そのころにもらった「リュウグウノツカイ」というCD-Rが好きだった。

渋さの最初期のメンバーだとは知っていて
不破さんに「最近新君と知り合いまして、とてもいいですよ」といった。
それでかしらないが、おそらく彼の復帰のきっかけだったと思う。
マンダラセカンドにやってきた、渋さは7年半ぶりといっていたのではないか。
管楽器なのにディレイとミキサーも持ち込んで、片山さんのソロにまでディレイかけてしまい
「これはえらいことだ、渋さ知らズだ」と思った。

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ある日、僕は行き場をなくした。
よくある話で泊まり先がどこにもなくなり東京浮浪していた。
困り果てたことを知った彼が、自宅に誘ってくれた。

向ヶ丘遊園だったろうか、もう終電だった。
ロードサイクルに乗った彼が迎えに来てくれていた。
どこをどういったのか、駅からとても遠かった。
当時ハードケースで楽器を運搬していた僕には辛かった。

やっと彼の家について、腰を下ろし休むと彼はラーメンを作ってくれた。
しかし、具が何もない、という。
香辛料はどれでも好きなものを使ってくれ、という。
夜中だったが、日々練習しているというギターを聴かせてくれた。
具のないラーメンによるもてなしと、ギターの音色は忘れられない。
とてもうれしかった。

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いつもライブに飢えて探していた僕に駒場東大前にあったアルニカというバーを
教えてくれ、そこでデュオをはじめた。
最初は二人ともエレクトロニクス主体だった。
機材トラブルや意見の交換を経えていつしかアコースティックなデュオになった。

彼はバンド名をつけてくれた。
D/Aコンバータ。
電気やコンピューターに詳しい彼らしい名前だ。

DとAは最初daysukeとalataの頭文字から取られたものだ。

しかしもうひとつ意味がある、というようなことを彼は冗談めかして言った。

DeadとAlive。死ぬことと生きること。

コンバータとは信号やデータの形式を変換する為の装置ないしはソフトウェアのことだ。

死を生に変換する装置、なのか。今ではわからない。

彼が病で本当に苦しんでいたことは知っていた。

誰かによって救われる類のものではなかったと思っていた。

彼のさまざまなコンディションによってデュオの演奏には安定感はなかったが
よいときには、何より楽しかった。
新君も、とても楽しそうだった。
彼が苦しみから離れられたような時間だったと思う。
小さなバーでいつも客も居らず続けていた。
本当に楽しかった。

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彼は去ってしまった。
いまでも「高岡君はさあ」という彼の声が聞こえる気がする。
彼の音がまだ聞こえる。

死んでしまったら、もうこれ以上思い出を作ることも出来ない。
一緒に演奏して喜びを交わすことも出来ない。

DとAならば、死ぬのは俺のほうだったのではないか。
aliveのAは君のものだったんじゃないのかい。
たとえがそれが君の願望だったとしても、君のA。

少しだけ事故時に死に近づいた僕は戻ってきて知ったが
死は何もなかった。
ただ電灯をひとつ、消灯するようになにもないものだった。
そんなところにかれはいるのか。
いや、どこにもただいないだけなのか。

僕が紹介して彼は同じ告知用のサイトを使っていた。
予定を見たら、真っ白になっていた。
決めていたのか、そうしていたのか。
この数ヶ月、僕はライブを入れれなかった。
最後に連絡したのは5月だった。
お互いの都合が合わず、残念、というメールを受け取った。

僕がもうひとつさきにライブを入れていたら、と思う。
もういなくなってしまったものに、もし、はないのはわかってる。
しかしたぶん一生この考えから逃れることは出来ない。

もうひとつ、ライブを入れていたら。

何を思っても、いまはもうかなた、届くこともない。

残念で残念でならない。


at last I am free.
彼とよく一緒に演奏した、好きな曲。
ながかったか。

渋さをやめた後、そのレパートリーの一部を一緒に演奏したのは唯一新君とだけだった。
犬姫のテーマ、ナーダム、そしてat last I am free.
ついに自由になった、私をさえぎるものはもうなにもない。

そうなのか。

わからない。

今は悲しみと感謝の念しかない。
彼は一緒にいるときにいつも高岡大祐を支えてくれた。

僕が生きている限り、彼が死ぬことはないだろう。

ただもう一緒に演奏できないのは、本当に非常に残念だ。

あの音はあの音楽は、彼としか一緒に出来なかったものだった。

無茶は承知だが、ミュージシャンは死んではいけない。
俺は死なないで生きる。