祖母の骨納、音楽など

つかの間寝て、9時に起床。
四天王寺地区にある一心寺に急ぐ。
10年以上ぶりに会う親族が終結している。
高岡家は異様に背が高い部族で
男で僕より背が低いのは2番目の叔父だけだ。
女性陣もみな背が高く、若いいとこたちは僕とそんなに変わらない背丈。
僕は高岡家の男で2番目に背が低いのだ。


この日は昨年9月15日に亡くなった祖母の骨納の日だ。
一心寺にはものすごい人手。
ここは非常に変わったモダン建築のお寺、コンクリ打ちっぱなし。


この日その理由が少しわかった。
この寺は宗派に関わらず、永大供養してくれるのだそうだ。
墓はない、お骨を納めて、皆の骨を集めて10年に一度、
骨仏、といわれる仏像を立てる。
この寺が宗教色をあまり出さない外観をしているのはこのためだろう。


強い日差しの中、長蛇の列で皆が納骨に来る。
それでも数時間のうちにすべての行程は済んでいった。


墓にまつわるしがらみの話をよく聞いていた。
ただ皆の骨が仏になるだけ。
僕はたまたまここに居合わせたが、弔いは形式より気持ちであると思っている。
生前のその人とのかかわり、思いを忘れず感謝と愛情を持っていたいと思う。


自分の死んだ後のボディのことも考えた。
どうする?死んだら、なくなるだけだ。
誰か要りますか?
生前の恨みを込めてサンドバッグにするもよし。
煮て炊いて肥料にするもよし食料にするもよし。
骨でおもちゃをつくってもらうのもいい。


なるべく立派な墓や人目につくものは避けて(できれば墓なしに)
形のあるものでなければうれしい。
それを見なくても、僕が音楽をしたことを誰かが覚えていて
その人もいなくなったときに、ひっそりと誰からも忘れ去られるのがよい。
感慨深かった。


++++


で、高岡家は食いしん坊の酒飲みなのであり
祖母が好きだった中華料理屋で会食。
祖母と祖父が好きだったものから頼み乾杯。


2番目の叔父と久しぶりに飲みなおし。
高岡家酒豪偏屈代表のこの人は、若いころに世界中を一人旅している。
中近東に興味がある、といって、モロッコの話をたっぷりしてもらった。


++++


一人になったのはやっと夕方、体がさすがに重い。
昨日の朝早くから稽古し、12時間以上何も食わずに本番突入して
朝まで7時間飲みっぱなし、そのすぐからまた夕方まで飲みっぱなし。
当たり前か。


世界は違えど音楽を楽しみ奮闘している友人たちと、昨日お世話になったグラフの人たちが
集うクラブイベントがある、ということで夜少し遅くに、体を叩き起こして向かう。
せっかく新しく来たチャリ、これにまたがりまあまあの距離を漕ぐ。


遅れてはいると、汗まみれのデの字のボーカルが所狭しと暴れ、歌っていた。
ぜんぜん前情報知らず、ぱっとみて、これは面白い、すごい。
ゴールデンローファーズ。すばらしいなあ。
ボーカルの人、いわゆるかっこよくありません、しかし、余すところなく歌う。
気迫と根性だけじゃなくて、伝えたいものがある強さを感じた。
大拍手。


うろうろと回遊し、友人たちに挨拶。御礼も伝える。
昨日の芝居を見に来てくれた人もいて、珍しく話しかけられたりもする。


メインのpag27登場。
レコ発から続いているライブもここまできた。
正直オヤジたち、めいいっぱい楽しんでいる姿。
客も楽しく呼応する。
座長マー君も現れともに踊る。


おくじさんのボーカルを初体験。
マイクを一心に両手でつかみ目を閉じて歌う姿。
彼の心根を少しは知る僕にとって、だけではないと思うが感動的だった。
巨体をぶらさずに、一心に歌う。
クサイ言い方かもしれないが、メッセージがある。
伝えたいことのある人が、音楽をやるのだと思う。


楽しかった。
終わった後に皆と話すのがこんなに楽しいというのもよい感じ。
酒がうまい。


三々五々片づけが進む中、別れの例を何度か告げて、1時過ぎにまたチャリにまたがった。
夜中の市内のサイクリングは気持ちがよい。
3時ころか、やっと寝た。


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芝居を経て、ライブを見て、気持ちのよいサイクリングをして独りになって
そしてある本を読んで、何かが氷解していく。


ここ何度も、日記であれやこれや、不満や怒りや憤り、いろいろなことがあったけど
それもどうでもよくなった。
何かを変えたいとか、(やな言い方だが)理解してもらいたいとか、あったのだが
(多分それは今後も変わらないだろうけど)
もうそれもよいのかもしれない。


自分は、自分の道を、どんなことがあろうとも行くだろうし
それで変わることも変わらないこともあるだろう。
ただ、自分の道が自分の道をいくことは、おそらく変わらないだろう。


多くの人には理解もされず伝わらないだろうけど
ほんの少しの人にでも何かが伝わればよい、と思うようになった。


自分の無力さのふがいなさを憤りや不満の声に声高にならずに
僕は僕の生き方で、音楽をやっていくだろう。
ほんの少しの人にでも、理解されれば幸いだ。
その結果は、やっと最近になって少しずつ出てきたように思える。


そんなに大きな声で言わなくても、
みんなあなたのことは分かってるんだから、と昔、言われたっけ。
アンタはアンタの道を、いつもまっすぐ行けばいいんや、と亡くなった師も言った。


どうせ怒りっぽいのも短気なのも、大げさでいやな物言いもそうそう変わらないだろうけど
なにかが解けていったような気がする。


なんでもええやん、俺は俺の道やで、とやっと言える様になれそうな気がする。
仲間との芝居、祖母の納骨、イベントの音楽やおくじさんの歌声だけによるものではないが
それと多くのことに、感謝してます よ。


劇中、物悲しい曲を書いた。
うわべで悲しみにならぬように、ある本を読んだ。
あまりに悲しいので何度も本を閉じたのだが、何とか読み終えた。


大切なことを忘れないように、この曲の名前を
ミラーナ・テルローヴァ、または 廃墟の上でダンス
としようと思う。