step across Bruxelles

daysuke2007-08-31

どうもこちらにきてからやたらに規則正しい生活をしている。
朝は大体8時に起床、階下のキッチンに降りて野菜中心の朝食を取る。


昼過ぎに劇場でやっているという子供鉅人のワークショップを見に行こうと
昨夜、谷町から駆けつけたなっちゃんと二人でポイントゼロへ。
こちらの劇団との研鑽会のような感じで見ていると面白い。

ちょっと外でぶらぶらしようかと思って偶然出会った
マチューとその親友セネガル人ジムと二人で散歩、なんて話だったけどとんでもない!
結局ほとんどブリュッセルを斜めに駆け抜ける4時間だった。


歩く道すがらそこらじゅうの人ににこやかに渡し
そして皆がにこやかに受け取る。
電車に乗ってもカフェに入っても。
やたらに友人が多いこの二人は歩けば5分に1度は声をかけられる人気者
それだけじゃない、初対面の人が熱心に話しに聞き入り
チラシを持っていく。


すごいねえ、日本じゃ無理だよ、というと、なんで?と。
うーん、なんだろねえ。どうするの?と聞けば
「ちょっとチャームを持って接すればいいのさ!」とウィンク。
この一言で恐ろしくくたびれる長い徒歩の道がぐんと足取り軽くなった。


ほんのちょっと、チャーム、それだけでいい。


日本でフライヤーをおいてもらう時にある、
あの緊張感が嫌でおろそかになりがちなマイジョブ。
興味持ってくれないことが前提で、
ごめんなさい、おいてください。
そんなのやっぱやだね、
いやあ、これが面白いんですよ、どうぞどうぞ!
通じるかなあ。


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これは勝手な考察なんだが、強制的満員電車風景、みたいな
ものと対極なこちらでは、人と人には適当な距離があるからか
歩み寄ったりお互いを知ろうとする積極性がある。
かといって、べたべたしたりはしない。


日本橋っていうツアーで、
 素晴らしい日本の友人たちが来ているんだ」
の一言で電車で向かいに座った人が興味を持つ。
人と人が違うことが前提だからか、興味を持つということが
とてもストレートで、僕には良い感じだ。


そういう大人を見て育つからか、
なんだか子供たちの感じも良いんだ。
演劇を見るときも音楽を見るときも、なになになになに、って
関心を持つ。
それを思うとどこかの国の子供は、
悪しき大人のミニチュア、カリカチュア
無関心を装ううちに無感動は固着する。
楽しんで生きているところを見せないと、大人は!


こんなこといっても遠い国ではなんの力も持たないのかもな。
でも、知ってしまった、この、感じ。
ちょっとしたチャーム、知らないから知り合うための引力。
与えられるだけじゃ駄目だ。
楽しんで生きるということが、とても肯定的なこと。
考えて生きる、のではなく。
意思を持って、自分で選ぶってことが、ストレートにあれる。


+++++++++


ちゃんと最初から見れた子供鉅人の二日目公演はとてもよかったし
カンジのソロダンスもパワーアップしていた。
厳しい目で見るつもりで、全然OK。

なんて、胸いっぱいになって今日は早く寝よう。

時間がなくても、マチューは自宅を見せてくれて
(泊まりに来ていたロシア美人女優を紹介してくれて)
お土産の凍らせたウォトカをグラスに注いで一気飲み。
鼻からあふれる香りを楽しんだら、あ、もう時間がない!
あわてて電車まで走りまくったらトロントロンになってしまった。
そんなでも、楽しんでもらう喜びを感じれるマイ喜び。
今日も一日、良い日だった。