富山へ

やまとあつしさんを送りに

手間の都合をつけるために午前から走り回り
大阪駅からサンダーバードに乗ろうとするも
間一髪間に合わず目の前で出発する予約列車を見送り
次の自由席に乗り込んで富山へ。
駅でベンちゃんに拾ってもらいセレモニーホールへ。
僕は通夜など忌事にほとんど出たことはない。
親族のものでも出ない。
これは特別なことだ。
祭壇のある間に入る前に体を衝撃が貫く。
前の方の席に一人坐るとそれだけで涙が止まらない。
一体どれだけの涙が自分の中にあるのか。
式の間、ずっとやまとさんの写真を見つめ続けた。
やさしさときびしさの中間にある笑顔。
焼香を見よう見まねで済ませひたすらやまとさんとの時間を思い出す。
悲しみが途切れたのは坊主の話のときだけ。
くだらない、くだらない話し。
この中でやまとさんのことを知らない数少ない人。
同じ内容でもやまとさんならもっとわかりやすく鮮烈に教えてくれたろう。
腹が立った。
自分にもし何か送る会などがあるならばこんなことがあったらいやだ。
宗教者なら山梨大聖寺の石田和尚か小倉のヴァイオリニストで牧師の谷本さんが良い。
自分のことを知らない人に語られたくない。
この二人なら高岡大祐の最も大事にすることを知っている。
会場に響く悲しみの声は止まることがない。
それを耳にするたびにひどく胸が痛い。
54歳、これからまだ開かれるはずの世界があった人には
あまりに早すぎる死だ。
100人の命と引き換えに助ける、といわれたら自分ならやってしまうかもしれない。
事が終わり会場を出て富山の友人たちの顔を見ると
また涙が止まらなくなる。
失った、あまりにも大きすぎる。
会場を出る前にやまとさんの顔を見る機会があった。
ガラス越しの顔は寝顔と変わらない。
この現実は嘘だ。また涙が止まらなくなる。
ご家族の涙もずっと止まらない。
あまりに早く急すぎた。
俺の命で良かったら持って行ってくれたら良かったのに。
このあと、やまとさんのいない後に残された8月の大きなプロジェクトのミーティング。
やるしかない。
その後、規格スタッフのお宅で少し集まり僕は村門に挨拶だけ伺い
また式場に戻る。
ご家族や親しい人たちで集まりがあり輪に入る。
すぐそこにおきあがらないやまとさんがいるそばで。
途中からあまりの疲れに少しだけ倒れこみ。
始発目指して富山駅へ。
大阪へ。