最近の発見

どうもツイッターFacebookなどのほうに書くことが多くなってこちらご無沙汰してます。
随分昔に嫌がらせ(今は炎上というのだろうか)を受けたことが会ってそれ以来コメントも停止しているので
当たり前ですがここだと反応がわからない、上記2つはリアクションがあるのでどうしても優先してしまう、
ってまあナンノコッチャ、ですが…
ちなみに僕はツイッターのほうが活用していて、Facebookはベルギーではじめて(あ、ツイッターもそうだった)
海外で使うのと母国で使うのが感触が違うので違和感があって、
そうしているうちに国内でも普及、あっという間にミクシィ化してしまったような。
知り合い身内友達つながりって、まあいいんですが、ネットをやっている理由の根本が
「ライブ/音楽の告知」の僕にはあんまり向いてないんです。
というわけで、誰が見ているかわからないツイッターのほうが実際にお客さんにつながっています。


さておき、


最近ちょっと内緒で新しい企画をしていて、音楽の聴き方に多少の変化があり、
久しぶりに「新奏法」といって良いやり方を発見しつつある、感じがします。
奏法、といっても、いわゆる特殊技術とかそういうものではなくて、まさに「演奏法」というもので。
今までは沢山の「特殊奏法」を開発して来ました。それはフィジカルな技術だったのですが
今回のものは、ちょっと違っていて、技術や発音の方法といった「アウトプット」に関してではなく、
前々から興味のあった「インプット」の方法。
自分にインプットする、つまり「聴取の方法」に関してはまあ人それぞれいろいろあって(それもとても興味深いのですが)
そうではなく今回のものは、ライブの場における「共演者と聴衆と聴こえ方に具体的な変化を与える」方法で、


これがまた言葉にしづらい。
まあ元々音楽の大事な部分を言葉にするのが苦手、というか憎んでいるといってもよいほどなんですが、
いくら言葉で説明しても、その場で聴いていないと伝わらないものの類で。
いつまでたっても、具体的にたどりついてないではないか、と言われる向きもありましょうが、
まあ仕方がないです。


ただ、個人的に最近の音楽的経験の流れからたどり着いたこの発見は、凄く大きくて、
自分の音楽のやり方そのものを全般的に変える、といっても根本からひっくり返して
入れ替えるようにするやり方ではなくて、
自分が今まで過ごしてきた音楽のやり方聴き方(勿論失敗も含めて)の延長線上にありながら
染み渡るように全てに影響するような、そんな感じのもので、現在自分は静かに興奮しております。
常に自分の中から新しい発見と可能性を見出す、これがあるので音楽はたまりません。
この新奏法、まずは身近な音楽家に意見を聞いてみてから何処かに文章にしてみようかと思います。
もしかしたら、自分の錯覚かもしれないですから。それですら、かなり面白いのです。


音楽と文章、といえば、その点を突き詰めていて、なお前進しているように見受けられる、
湯浅学氏の「音楽が降りてくる」「音楽を迎えにゆく」(河出書房新社)の二冊は必読かと思います。
音楽を言語化することに強い抵抗のある僕ですが、深く揺り動かされるものがありました。
さて今日も明日も、行きている限りライブです。