マリオマンダラ@下北沢Bar RINNE

daysuke2009-07-18

田内万理夫mandara paint 高岡大祐tuba

この18日土曜日にある田内万理夫さんとのライブ、マリオさんの宣伝文章が面白いので掲載します。


今週の土曜日、下北沢 Bar Rinne にて、チューバの高岡大祐氏と共演。
 今年の二月、初めて共演し、それがかなり独特な経験だった。というか体験だった。癖のある人で、音楽に対してのみ向き合っているような人で、難しい人だなあと正直なところ感じる相手だけど、音がとにかく良い。加えて言えば、音に対してのみならず、物に対する対峙の仕方が、否定の難しいほど真正面からの人だ。もちろんそこには独断が強く存在している、
それは今なお短い付き合いの中で感じた。
 でもその独断を排して、果たして表現が成立するだろうか? 
 

 共演は一度だけだが、彼のライブには何度も足を運んだ。
 その為だけに生きている人というのは、やはり迫力があるし、すごいと思う。
 それを体現している人だから、御託は要らない。
 とにかくその姿勢が好きで、音がすごい、これ以上にどんなサービスが必要なのだろうか?


 その相手との競演を、自分自身の長年のホームグラウンドであり、親友の竹田直樹君の店である Bar Rinne で行えるということで、実はちょっと、普段感じないような緊張を感じているのも事実。楽しくなるのが判っているだけに、その楽しみに、ちょっとでも水をさしたくない、線の狂いを経験したことはほとんどないけど、その夜にも、それはあってはならないことなのだ、と感じている次第。
 なかなかいない人です。音は最高。そのうちもうちょっと仲良くなりたい。
 そのアティテュードに、非常に強いシンパシーを感じている相手との共演は、嬉しくない訳がない。大事にしたい一夜。


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というわけでこの日はマンダラにまみれた。


ライブ前に個展を見に行く。
夜には共演の田内万理夫さんが展示している。
なんだかんだあって見に行きたかった個展にいけるのはライブ直前のこのタイミングだけだった
夜にはライブで実物が見れるじゃん、といわれそうだが、それとこれとは別物。
渾身の作品、見ておきたいではないか。


浅草橋は久しぶり。
しかしなんだ、東京のギャラリーのホームページはやけに字が小さくて見辛い分かりにくい。
到底僕みたいな素人には分かりにくいのが多くて少しイヤになる。


なんとかたどりついたギャラリーに入り見る。
一階の壁から天井まで伸びる生き物のような絵。
植物や少し動物や、あえていうとカビとか粘菌、茸のような不思議な生命を感じさせるものが
発生からその生活の場を広げていった足跡のように。
以前とはまた違うなにかを感じさせてくれる。


階上では他の人たちの展示。
鎧兜の技術を流用したという江戸の彫金で作られたリアルすぎる虫、
方眼紙に書かれた即物的な食い物の絵、
まるでケーキのように積み重ねられたシルクスクリーン
普通の紙をちょっと信じがたいレベルで細かく切り抜いて網やパズルのようにしてしまう双子


どれもこれも非常に細かい手作業で出来ている。
好きなんだ、精密手作業。
特に切り抜く双子の作品はヤバイ。一見ただのメッシュに見えるんだけど、
実は公共料金の請求書在中封筒。
おかしいって、しかも双子の女の子の作業。
かなり危険なものを感じる。


コンテンポラリーアートとかいって、三流の職人にも及ばない手作業しか出来ない
コンセプトだけ見せられるものよりも、ちょっと自閉症いっちゃうかなというくらい
これしか出来ないこれがしたいという偏執的な作品のほうが好みだ。




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夜は下北沢へ。
久々再開のマリオさん。元気そうだ。
初めて訪れるバーリンネはカウンター中心の狭いけどいい感じのバー。
奥のボックス席が我らの舞台。ステージ、より舞台っていいなあ。
最初は紙を張ろうかという話だったが元バイト嬢の鶴の一声で壁に直接書くことに。
ヤニや油で茶色く染みた白い壁にあのマンダラが浮かび上がることに。


僕のセットは生tuba、そして店のオーディオにつないだテープレコーダー、
真空管アンプ、ディレイ2、バウンダリーマイクは相当な場所まで届くようにする。


なんか共演前から異様なエネルギーに満ちる。きっとよくなるに違いないという気迫。
開演前に少し街を歩き戻る。


いっぱいのお客さん、さあどこまで行くか。
自分たちの体内時計を90分予定にセットしてスタート。
僕が始めたことは僕から、しかし店の中のさまざまなノイズに体中が対応してしまう。
カウンターで砕かれる氷のリズム、客が漏らす声、マリオさんは描きながら歌を歌い舌を打つ、
そしてマリオさんの愛息が漏らす声はよくぼくを決定した。
前回共演したときに、果たして演奏と描かれる絵は因果があるのだろうか、と思った。
マリオさんは淡々と(と見える)描いていく。僕はここにいるのだろうか、と。
今回、ほぼ背後にあり時折にしか見れなかったマリオさん自身もその絵も、
ものすごく一緒にいる感じ、共演している感じを感じた。
どちらもほったらかしではない、見た目に分かりやすく反応しているのではない、どこかなにか通常の
反応するところではないところで、何かが反応している。


tubaを解体し笛の音を残しさらにそこから真空管のゲインを上げてノイズ交じりのディレイが始まる。
バウンダリーマイクはそこらじゅうのノイズをどんどん拾っていく。
どうやらディレイがひとつ機能していないらしい、構わず演奏を続ける。
今回は直結したテレコが良く働いてくれた。
街の音をスケッチしたあちこちの音、せみの声、やる気のない鉄道アナウンス、ライブの記録。
全部溶けて流れる。
途中マイクを伸ばして赤子のところまでいって、声を拾いにいった。
ルーパーは全開にしておいて後はディレイの働きに任せる。
なかなか声を出してくれないときはこちらから声をかけるがいい。
言葉を持たないコミュニケーションならむしろ得意だ。
一緒に歌う笑う声が店に響く。さんきゅ。


いろんなものを残滓にして、tubaに弾き戻る。
また違う印象に変わっている自分の楽器に。
最後は歌うように終える。絵はすっかり出来上がっていた。


楽しかった。以前よりずっと。
酒は美酒に。マリオマンダラの描かれた60度のウィスキー。
僕らは1時間45分ぶっ続けで共演した。長かったのか短かったのかは分からない。
お客によっては長かったのだろう、途中で帰ってしまう人も結構いたけど、
僕はまだまだできるくらいの気持ちだった。
時間の長短は人が決めることだ。時計に切り刻まれた時間は本当に時間じゃない。
勝手に人間が決めた基準だがそれもいい、永遠のような1秒もあるし瞬間のような1日があることを忘れなければいい。
僕らにとって、この時間はとてもよかった、少なくとも僕には。
時間の過ごし方としてはベストの1時間45分。
好きな絵と音楽と過ごせてうれしい。


終わったあとはマリオさんとその友人たちを囲んでトーク
前々から物凄く興味のあったジャズ競輪という奇妙な名を持つうどん屋の店主が来てくれていた。
この人がまた痛快な人でしかもローランドカークの大ファンだということで意気投合。
私みたいな人間が生きていけるなんて日本は楽勝の国だ、という感性は大好きだ。
善も悪も楽勝も惜敗も、他人が決めることじゃない、自分が決めることだ。
人生が楽しいものであるかどうかは、自分次第、そんな大事な物事の評価を他人になんか任せられるかってんだ。
話し弾みすぎて危うく終電を逃しそうになる。
去りがたきを去り惜しみがたきを惜しみ。
非常にうれしい時間だった。
頂いたお土産を胸にほくほくと帰途へ。