大阪浮浪二日目/声の記憶

daysuke2009-01-20

夕方に仕事を切り上げてチャリで出動。
最近楽器を持っているときは借り物のママチャリだが荷物なしだとマウンテンバイク。
しかしますますママチャリへの恋慕がつのるばかり。
あと実用自転車はあこがれ、魚屋の、新聞屋の、郵便屋の、もはや警察屋のものまで。
あれは荷物の積載量が半端ではない。
そしていつかはのあこがれ電動アシスト三輪車。
あれがあったら行動範囲はもっと広がるだろうな。
誰か不要の実用自転車あったら譲ってください。


久々に訪れた友人の店は定休日が変わっていてアウト。
古い友人の店にいくと忙しそうなので長時間読書させてもらった。
急にスパイスが食いたくなり、食材屋によってイギリスでミックスされたカレー粉を購入。
鶏の砂肝ともやしのカレー炒め、キビナゴと水菜の豆腐サラダ、チーズとワイン。
独りで食うにはあまりに贅沢な食卓だ。


東京でものすごい良いライブがあったという話を聞いた。
よく知っている人たちのこと、嬉しい反面なぜか悔しくなる。
ライブがしたい。
いまは朝から晩まで好きな音楽を聴いているか、歌を歌っている。
形にならないやりたいことが山ほどある。
文章には出来ないことばかりだから、商売にしたり売れたりはしないだろうな。
しかしこのアイデアを抱えているだけで、宝くじを当てたような金持ちになったような
そんな気持ちになる。
明日それを形にするべく相棒とリハ。
ジャンルなんかない、ただこうやりたい、ということがあるだけ。


+++


最近つくづく思っていたのだが
僕は人の顔を覚えることが本当に苦手で、人を声で覚えるほうが得意だ。
実際に高校時分、数ヶ月会わなかっただけで人の顔を完全に忘れたことがある。
駅で待ち合わせして、誰かわからなかった、声を聴いた瞬間に、解凍されたように
誰かわかった、少し怖かった。


もう2度と声を聞くことが出来ない人たちがいる。
僕は一人になると、その人の声を思い出そう、いや頭の中の現実として響かせようと
周りを遮断して集中する。
口癖がはっきりしていた人は、その癖とともに声も思い出しやすい。
しかし口癖の薄い人は、ときに難しくなる。
大好きな、大好きだった人の声を忘れてしまうことほど悲しいことはない。
耳に出来たときと同じように、完全に頭の中でその声が鳴り響くまで掘り起こす。
頭の中で彼らの声がしたとき、僕にとってなによりの幸せな時間だ。
彼ら彼女らには二度と会えないが、声を覚えている限り、僕にとって不滅だ。


ちょっとあっていなかった間に、もう2度と声が聞けなくなったら、と思うと怖くなり
誰かに突然に連絡することがある。
顔なんて日々変わってしまうものだ。
声は僕にとって顔以上に感情を表す音の顔だ。
愛情も敵意も声には嘘はない。


願わくば好きな人たちの声をいつまでも聞けますように。
この世にいてもいなくても、もう2度とその声を聞くことが出来なくなること以上に
寂しく悲しいことはないのだから。