KOUZ+高岡大祐@谷町ポコペン

daysuke2008-09-18

KOUZ(oud)高岡大祐tuba

ポコペンでウード奏者とライブ。
ウードというのはアラブ地方の弦楽器でかたちはリュートに似ていて
日本人だと琵琶を連想してもらうとフォルムは似ている。


マチューデュポンことクーズ(芸名だそう)はオリジナルのフランス語による弾き語り。
ここではベルギーネタよく書いていたので知っている人もいると思いますが
かの国はフランス語とフラマン語(そして少しドイツ語)が国語で
クーズはフランス語圏の人。


エジプトでウードを習ったりはしているけど、自分の言葉でオリジナルを歌う。
僕は非常に納得する。
他国の伝統楽器を使ってその国の音楽をそのままやることが当たり前、
みたいな風潮は当然のように広まっているけれど
楽器の基礎を学び借り物ではない自分の音楽をしようとするのは
真っ当だと思う
(それがどれほど大変でも)


僕もtubaという西洋楽器を使って、自分の音楽をやろうとしている。
自分だけの音楽なんて出来るものかどうか、しかしそれは孤立したものじゃなくて
全般的に音楽的なもの、になると思っている。
普遍性にまで行くと思う。


++++++


さてライブですが、まず僕のソロ。
頭にぶつかった窓際の竹のチャイムの揺れる音を音列にそのまま頂いてスタート。
ゲッ、難しい音の並びだ。
徐々に歌える音のならびにずらしていって後は口と感情のお筆先。
自分の演奏のスピードに技術がついていけるかどうかのぎりぎり演奏。
てめえでスリル作ってしまう。
楽しんだ。


次にクーズのソロ。
ウードを見るのも聞くのも初めてという人がほとんど。
実は僕も生音のソロでこんな至近距離でじっくり聴くのは初めて。
彼は胡坐をかいて丸っこい胴を抱えて演奏。


いいなあ。生の音。
まず気持ちのよい弦の音。
音量は小さい、これは古来からある楽器特有か。
電気もなかった時代に人はこうやって耳を傾けて音楽を楽しんだのかもしれない。
うるさくしてたら聞こえないもんな。
独特な響きが本当に心地よい。


フランス語の歌、意味がほとんど分からないのが残念。
全曲彼のオリジナルだそうだ。
最後に自作曲を日本語のカラオケで歌います、ってなんだろう、
って思ってたら、楽器を伏せて口三味線でさっきやったカラミティレゲエという曲を
全歌詞日本語の歌詞で歌った。
「きみがすき〜きみがすき〜」サビのところはみんなで合唱。
といっても、良くある押し付けがましいコールアンドレスポンスではない。


アラベスクなメロディーとゆったりしたリズムで、まるで日本の歌謡曲みたいだ。
思えばアラブ古典には恋の歌が多い、それも悲恋の。
謡曲っぽくなるのも当然か。


++++


ほんでもってデュオ。
前もってなにやる?って話したら、その場で決めようよ、って。
そこで彼が僕に言った。
「タクシームって、分かる?」


驚いた。昨日自分でミクシィ日記に書いてたじゃないか。


*聴衆の反応(激励や感嘆の掛け声)に助けられて即興が盛り上がるという
 演奏者と聞き手の相互作用があるのが本来のタクシームのあり方


うん、それでいこう、と感激した。
実際の演奏は彼のウードと僕に自作笛から始まり高揚していくところで
tubaにもちかえて演奏。
彼は西洋アラブ縦断しまくってうねるうねる。
リズムとか、あわせようなんてどーでもよくて
一緒にうねって歌えばよい。
アラブ音楽好きだけど体系的にはなんにもやってないもんな。
心開き相手の音をよく聴き、相手に語りかける歌で応える。


相手の歌い方を理解するには開かれた耳と磨かれた腕が必要。
その準備だけは今まで長いこと、ずいぶんしてきた。
それが結実したかのように、良い演奏でした。


+++


初めてっていい。
もう2度とない自分に会える。


飛び込みでこの4畳半のお店にやってきたお客さんもずいぶん満足してくれた模様で長居。
いろいろな国の人が集まっていてさながらベルギーのような和室店内。


見に来て酔っ払ってそこらじゅうのものを叩いている相棒ワタンベもご機嫌さんだ。


クーズとは関西でまだ数回、ライブをする予定です。
僕の知るベルギー人らしく、「お金は重要ではない、音楽をしたいんだ」という。
無欲ちゅうか、すがすがしい。


普段ずっと歌いながらいるのもこれまたベルギー友人に共通。
僕としてはありがたい、ベルギー男性友人でほぼ唯一タバコを吸わない男。
気持ちのよい人です。


告知はこちらにアップ予定。
http://www.bloc.jp/daysuke/
興味のある人はぜひ。


+++


噛み締めてチャリで帰る道すがら、またタクシームに関して思い出した。
訳注にはこう付け加えてあった。


*それにはレベルの高い聴衆が必要


訳者の意図は知らないが、あの場にいた人たちはウードも音楽も知らなくても
オープンになることに関しては、レベルの高い聴衆だったと思う。
トゥリマカシ、ありがとうございます。