自分の不在を見る

まず本日のこと。
今日予定されていた、渋谷バーイッシーでのライブは
ジンデストロイさんのソロライブになります。
予定変更申し訳ありません。
僕は引き続き静養させていただきますが
ぜひジンさんのライブを見に行ってください。
カンパ制です、お得です。
いっしーさんはまた面白い音楽を店内でかけてくれることでしょう。
よろしくお願いします。


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昨日はライブ鑑賞。


本来出演するはずだった地中池のライブを見に大阪フィドルクラブへ。
http://chichuike.exblog.jp/
こんなにみんなの手の内が読めるライブ鑑賞も初めてだが
それ以上にたくさん発見する。


自分より若いメンバーや古いなじみ、親しい者たちばかりがいる。
僕の事故や怪我を無茶苦茶に心配していた。
7日の京都ライブでは僕の名前をライブ中に連呼しまくっていたらしい。
この大阪ライブでは、僕がいないところを、
何とかしようとそれぞれがいつも以上に必死になって
演奏していたところが見受けられた。
かなり感動した。
僕のため、ではない、演奏がそのために良くなっていたからだ。


コントラバスの宮田あずみ嬢はその際たるもので、
包容力のあるいつものサウンドに加え、エッヂが際立っていた。
あれはたぶん、高岡大祐がここで出していたものだ。
サックス亀ちゃんはアルトよりもバリトンの比率を大幅に増やしていたのは
僕の不在のためだろう。
全員のソロはそれぞれ気合の入ったものだった。


自分の不在を見る、なんて機会はなかなかないもんだ。
変な話、悪くない。
ちゃんと自分が以前はそこにいたことが分かる。


正直言って、自分が死んだ後の参加バンドを見るようであり
いいことしてたのだなあ、と化けて出て見に来たような気分だった。



実は長生きとか、別にいいのだ。
誰かに会って、その人に自分の痕跡があれば、もう自分の役割は全うしている。
忘れ去られることはない。
何かが焼きつく出会いさえあれば、後に続く関係の長さは、
実はどうでも良いのかもしれない。
ちゃんと出会ったか、そのときちゃんとしてたか、に集約される気がする。
厭世的な考えではないですよ、念のため。
これを思いながらライブを見聞きしていて、非常に爽快な思いだった。
(MCで「今日は高岡さんが事故にあって不在で、」とあったから 「惜しい人をなくしましたね」といっておいた)


最後のほうアンコールには杖を突いてステージに出てみた。
杖はおいしい。爺みたいだ。
なんとソロが回ってきたのでメガホン借りて歯笛吹いて杖吹いて歌った。
自分も楽しいけど、こんな変な怪我人がステージに上がったら見た目面白いだろうと
やってしまったが、非常に楽しかった。


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受付には「高岡基金」なんて募金箱が用意されていたり
終演後は話をしたことのないお客さん、
サンフランシスコから参加の初対面のディナ、メンバーも交えてわいわいと。
みんなの心配など吹き飛ばしたい、明るく談笑。


しかし正直に思うのだ。
僕は幸い、生きるほうにサイコロは転んだ。
たまたまだと思う。
あの時もう少しだけ何かが違ってたら、サイコロは違うほうに転んでいた。
仮定で考えてもしょうがないけど、それだって優にありえた。


みんな明日も同じように会えるなんて、限らないのだ。
今までだってそうだった、昨日まで元気に笑ってたやつが
次の日には話すことが出来なくなってたこと、あった。
そのときに驚き嘆くのは当然のことで仕方がないが
それまでの間、ちゃんと笑いあっていたか、ちゃんと話していたか、
そういうことを後悔することないように、毎日を生きていきたい。


僕の事故や怪我を嘆き、心配する多くの人を見かけた。
それだってもちろんありがたいことですが、
それまでの僕と、ちゃんと付き合ってくれていたことも、大事です。
いつもあなたも僕も、このまま幸せに入るとは限らないのですよ。
だから、毎日、大切にしましょ、大事にしましょ。


ありがとうございます。


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思い出す。


事故後目覚めたベッドの上、まだ体は動かない、
最初に思ったことは、昨日は良いライブだったな、あれが最後だったとしても
悪くない。


毎日が終わるときに、すべてがこれで最後でも後悔しないように、生きていきたいもんです。
俺はそうやっていきます。


病院のベッドで次にしたことは、右手と唇と歯と、呼吸を確かめた。
(あの時左手はまだ動かなかった)
まだある、またtubaをふけそうだ、と思った。


あの感じを次は、本当にサイコロが向こう側に転ぶそのときまで
忘れずにやって生きたい。


早く音楽したいなあ。
いや、日々音楽はしているか。
演奏したいのだ。


今日からまたしても療養です。
ありがとうございます。