日比谷カタン/高岡大祐@池袋バレルハウス

daysuke2008-01-26

日比谷カタンg,vo 高岡大祐tuba


昼はゆっくりと過ごす。
夜には大変なライブが待っているのである。
日比谷カタン氏とのライブは一年ぶり以上だ。


なじみのバレルハウスへ。
バイトのぼんちゃんが店の準備、カタンさんはまだ。
僕も何かと準備。


久々の再会に挨拶。
早速セッティング。
お店のマイク使用でPA鳴らし。
リハーサルを聴くのも嬉しいのが彼の音楽。


店長入店でご紹介。この出会いも作りたかった。
ほどなくどかどかやってくるお客さん。
カタンさんのお客さんは一目で分かる、
このお店だと特にね。女性客多し。
立ち見ありのパンパンの状態にまでなる。


先に僕のソロから。
カタンさんの後にやるのなんて真っ平ごめんである。
立奏インプロヴィゼーション
特に考えはない。
初めての人もいると思うのでMCも軽口で。
MCの後のインプロと言うのは結構やりにくいもので
言葉にならないようなことを音にするからなのだろうか、
そういう時は体に聞くかのように、先に体を揺らし踊り、そこから出てくるものに任せる。
創意は必ず技術を上回り、時に自分の肉体の限界を要求するけれども
それに瞬間的に挑戦しないではなんのために即興しているか分からない。
確実につかむためにやるのではなく、まず手を伸ばす。
つかめなくてもそれを追う手の動きが音になるはずだ。
とまあ、言葉で書いてみたものの、それは飯の美味さを言葉にするのと変わらない。
無理無理。


肉体の限界点を何度か越えないとできない種類の演奏だった。
いくつかは越えいくつかは届かなかったけど、まだまだやれることはあるのだと思うと嬉しい。
自分だけにしか出来ないし、自分のままではできない演奏をいつも。


++++++++


そして次には日比谷カタン
始まる前から僕は期待でいっぱいである。
この人の音楽を言葉にするのは野暮のきわみだろう。
いろいろな評され方があるだろうが、それは飯のそれ以下。
ギターが、歌が、何かから自律している。
自立ではなく、自分の世界へ。
狂おしく恐ろしいほどの技術も、変幻自在の歌声も、
他のものとなどは違うぞ、とはっきりとしている。
それが一定ではなく、手につかめそうなときには逃れ、
遠くにあると思えば近くにか、霞とあざれる如しとはよく言ったものだ。

とらえどころはあるのかないのか、その変化が本質か。
みんなどういう風に聴いているのだろう?
僕は心底楽しめるが別のところで心底楽しめない。
ただただ凄い音楽に聴き入るが
「いったいこれほどのものが世の中に必要なのだろうか?」と思うくらい凄いからだ。
初めて聴いた時に印象は「とことん素晴らしいけれど何か不吉に禍々しい、しかし好きだ」
というもの。
この印象は変わらない。


まあなんだかんだいっても、この音楽、凄い好きだ。
彼を体験済みの人間だけに与えられる楽しみは
彼を初めて見る人間の驚きの表情を見ることだ。
懇意の店長やスタッフ、友人たちのひっくり返る表情はたまらなく、美味い。
もちろん自分だってひっくり返っている。
これはとてつもなく美味しい店に人を招待する時に愉悦に似ている。


この日のMCは絶好調に饒舌でなかなか曲に移行しなかったくらいだ。
「はよやれー」と思いつつも話は引き込まれる。
ぼんちゃんは「AMラジオみたいだ」と喜んでいたが
テレビ嫌いの僕は「テレビがこんなんだったらずっと見るのに」と思った。


とか喜んでるまもなく恐怖の時間、セッションタイム。
その前に乗りに乗りまくったMCに乗じて二人会話。
この馬鹿話、ついてこれるか、これまい。
しかし見かけといいすべからく対照的な二人だ。


インプロセッションは前回に比べればおとなしめで二人とも事後の感想はもっとできるか、という
ものだったが悪かったとは思わない。
もっといけるか、という気走りだけが感じられた点はある。


なんにせよ、大盛況。
皆様ありがとう。


終演後はお客さんも交えてどんどん飲み会。
カタンさんも絶好調の喋りは止まらずオフステージも変わらない冴えを見せる。
またの再演を約束。
明日も池袋なので安心のみ続ける。