眠れない。

どんな場所でもどんな時でも八時間は眠れる気楽でのんきな人間なのだが、何故か三時間で目が覚めて、眠れない。
こんな事は珍しい。


ライブの余韻で眠れないということもたまにあるが、この夜はそんなことはなかった。
飲酒を控えたから?ではないだろう。
ここ数日いろいろなことがあったからだろうか。
などと、珍しく音楽の話題でも告知でもないことを、つぶやきがちに書いてみた。
Twitterは140文字で、それには慣れてきたし安直で出しやすい、Facebookは基本的に英文中心、
ここはライブの記録と告知の場にしてしまっていたけど、
たまにはこういうのも悪くないだろう。
(もはや何をやっても「悪い」かもしれない)


昨夜、アルトサックスを担いだ華やかな女性の一団を見かけて、
「tuba吹きで、即興演奏家で、タカオカダイスケだなんて、とんだ三重苦だ」
などと突発的に思った。
ここ地元大阪にいるから、そんな風に思ってしまったのかもしれない。
ただでさえ、tubaなどという、やっていても認められることはおろか(別に認められたいわけではない)、
何それ楽器?といわれるようなものを好き好んで(というほど楽器に過度の愛情があるわけではない)もう27年も続けてやり、
地元でそれほど場もシーンも(たとえシーンがあったとしてもそこで活躍することはあり得ないが)愛好者もごく少ない即興演奏を中心に行う。
これだけでも「マニアック」と片付けられるには嫌というほど充分だが、
(ちなみに自分では自分の事をマニアックだと思った事はない、一般的かどうかはしらないが、こだわり、のようなものを意識している事は殆どない)
トドメにタカオカダイスケである、というのがまたなんとも言えない、
産んで育ててくれた親にも、ごく少なくとも親しく接してくれている人達に恨みなどカケラもなく感謝の念しか抱かないが、
ここ数日自分の愚かさに気づく事夥しく、
後悔こそせずとも(そこが浅はかであるのかもしれないが)、自分をこのように育んだ自分自身を恨み、とは言わないが、
怨みたくなることは、あった。
三重苦、などといっても、この愚鈍で頑丈な奴めは、肉体的にも精神的にも鈍重で壊れにくく、
相変わらず風邪一つ引かず、体調が悪い、という事を殆ど忘れてしまいそうな、罰当たりな頑強さ、
傷つく事よりも傷つける事のほうが圧倒的に多い、迷惑な質量を持つ無神経なノータリンで精神性の低い心(果たして自分に心のようなものがあれば、の話だが)、
思えば、三重苦、などどの口がいうのか、地獄へ落ちろ、と自分でさえも思ってしまいそうだ。(他人が言ってるのは聞き飽きたし、そりゃ尤もだ、といまなら思う)
当然の結果の、ないないない、ないない尽くしでは有るが(何がないか書くとあまりに情けない泣き言になるので書けない、想像通りです)
想定外に、自分は不幸せではないのだとも思う。
ここに至って、多くの人の軽蔑を受けるのかも、しれないが。(これ以上に?)
自分が好きな事ができているかどうかは、実は良く分からない。
好き嫌いを越えて、今までに触れ、感じ、血肉とし、生き方にまでなってきた、すべての物事と出会いが、いまの音楽になっている。
幸せになれるか、といえば、全く分からないし、
他人にはこんな人生を絶対に推薦できない。
(信じてもないが、もし天国と地獄があるならば、自分は確実に地獄行きだろう)
取り立てて意思が強いわけでもなく、強固な選択肢の末に、選んでこうなったというより、
なるようにしかなってきていないが、
いまのいまはこれしかない、という生き方をできるようになれた事の要因となったすべてには、
感謝をしたい気持ちも、ある。


振り返ると、去って行った人達の多さに、気が遠くなる。
時は流れ 人はまた去る 思い出だけを残して
じゃがたら江戸アケミはそう歌ったが、
本当にそうだ。
彼ら彼女らが去ったのは、間違いなく自分のせいだ。
自分を嫌い、忘れ去って行った人達が、自分を育んでくれたような気がする。
自分の三重苦はけして楽なものではないのだが、これがなければどうしても生きていけないものだとも言える。
この三つに出会え、生涯を費やしていける事に、
そうして生きていけるようになれたのは、今までのすべてのおかげである事に(つまり、人達に)
深く感謝をし、迷惑かけて、ありがとう(©たこ八郎)
と記しておきたい。


なんだよ、その三重苦って俺の、じゃなくて、俺がそう生きてる事で俺の周りと世の中が被る「苦しみ」の原因じゃねーか…
とも今おもったのたが、
自分と全く正反対の性格で、すぐに周囲を魅了し誰からも愛される我が母親が事あるごとに他人に言う、
「大祐は幸せです」
というのに、というか母に免じて、
少しだけ、許してやってください。


さあ、もう眠れねえなあ。
いや、眠るか。
はあ、ダメな奴だ。しっかりしろよな