とっちらかり日記:どんどんさらば

最近になって自分の好きな人たちがどんどんミクシィをやめていくなあ。
それもしかり。
僕が尊敬したり好きな人たちはあまりミクシィをやっていない。
ミクシィなんてつまらない、などと批判するのは簡単だが
自分はこれが良いものだとも悪いものだとも思っていない。
どんなものでも、それなしでは生きられない、というのは無様ではあると思う。


いい女はインターネットをしない、は僕の説。
そんなことをしなくても群がる男やいい女友達、周囲が必要で最良の情報を
ほっといても与えてくれるからだ。
ブスと貧乏人は浅ましくやたらとお得な情報を欲しがる。
いつもお得を漁ると言うのは非常に浅ましい行為だとと思う。


ミュージシャン先達はいち早くこのインターネットというメディアに飛びついたと思う。
情報を発信しないといけないからだ。
ほっといたら誰も求めていない情報を発信したいと欲すること。
最近思うのだが、情報を発信しないといけないということは、どういうことなんだろうか。
そんなもの誰が求めているのだろうか?
馬鹿にも教えてやるのだろうか?
不細工で情報を発信しないといけない我が身を省みるに、最低だとは思う。


身近な人には言っているが最近気になることのほとんどは
インターネット上に一切情報が載っていないことだ。
ホームページがないバンド、ミュージシャン。事柄。
それも力のある人たちならなおさら。


前々から書いているが僕はネットの活字を信じていない。
全部嘘、フィクション、作り事の一つである可能性を踏まえて読んでいる。
それでも思うところがあるならそれで良いと思って読んでいる。
僕はただの活字中毒者なのだから。
ネットしていない時はずっと本を読んでいる。
文章は、読めればそれでいい。


いまだに子供の頃からの妄想は続いている。
3歳か4歳の頃からずっと思っていた、今感じていることは全部、
まだ生まれたばかりである自分が見ている夢ではないだろうか、と。
自分以外の人もこういう考え方があると後に知って驚いた。


小学一年生の時に花か何かを見て
「この赤を他の人が自分と同じ赤として見えているか、分からない」
と言ったために、阻害されたことと同様に。


結局他人に喜んでもらいたい自分がいる。
自分の好きなことで、なら、音楽が一番だ。
しかし、独りよがりなところはないか、と自問する。
幸い(かどうか知らないけど)現在も過去も音楽をするのに楽な環境でやっているとは言えず
それでもやりたいのだから、どうしてもやりたいことなのだろう、と単純に思う。
苦しくてもやってるから、なんて安易な馬鹿マゾのような話ではなく
これは最低限のことで、もっともっとでいたい。


今も思い出すが、ずっとずっと前に同じ音楽事務所に所属していた
少しだけ若いバンドのメンバーに「なにがしたいん?」というようなことを聞かれて
「早く世界一になりたい、それから何かしたい」と答えたと思う。
それは今でも変わってない。


世界一ナニナニ、世界で唯一になったところでそれがどうということだろうか。
僕は毎日音楽とありたいだけでそれで幸せになりたいだけだ。
自分が音を出さないでも幸せになれるのならばそれでもぜんぜん構わない。


幸か不幸か、音楽をすると、しないよりも幸せな気持ちになる、それも物凄く。
このような自身の全面的な肯定は、なかなかない。
暴力で闘争して相手を打ち負かした時に似ているが、
それよりも強く、悪い気分を伴わない。


できれば音楽だけをやっていたい。
それを人は職業と呼ぶ。呼び名はどうでも良い。
ある本の中に、日本全国に広島原爆投下時からある火を全国に移して歩いている人がいる
ことを知った。
どうやって食ってるんですかねえ、という質問があったが
んなもん、そういうことしてたら、食えるでしょ。食べてもらいたいやんか。
そんなもん金なんてなくてもご飯食べれるさ。
俺もたいして変わらない。


ただ少しだけ金が必要でそれを日々の暮らしにあて、多大なる借金の一部を返し
飢えぬほどに飯が食えて、好きな音楽が出来ればそれでいい。
明日死ぬかも分からないのに、長期的な健康も貯蓄も無縁だ。
寝る前に今日も一日生き延びれた感謝が出来れば、俺それで良い。


じゃあなんで先のライブ予定なんか取るねん、という人もいるだろうが
生きてりゃラッキー、くらいで予定している。
出来れば毎日音楽がしたいから。
ほんの数人が知っているだろうが、半年以上先の予定を聞かれた時に僕は
「それまで生きていればやります」といっている。
本当の話、それまで生きている保証はないし自信もない。


日々大事にしていきたいものだ。
そのまま毎日が過ぎれば良い。
日付本日ライブです。
http://www.bloc.jp/daysuke/