高岡大祐alone@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ

daysuke2007-06-15

高岡大祐tuba etc


この日のことは忘れようにも思い出せない。
夕方、ムリウイへ電車で急ぐ。下らない名前に改名された商店街を歩くのももどかしい。
夕陽が沈む前に店にたどり着きたい。
ここから見える夕景は東京で一番すきなのだ。
何とか間に合った、素晴らしい夕陽、一日で最も一番好きな時間に。
店主たけしさんと特等席へ、そこはお店のさらに上にはしごで登った屋上。
ひとときも同じ姿を見せない風景に感動する。
こんなに美しいものがあれば人がわざわざ何かを作る必要はないのではないかと思う。
夕陽が沈むまで上に独りで居る。
空を飛ぶことを覚えたてのたくさんの小さなツバメたちが陽が完全に沈む前に
とある遠くの大木に向かって必死で飛んでいく。
そう良くはない僕の目から消える瞬間まで彼らを追う。
夕陽が沈んでしまった後の空に残る光が雨雲のように暗く黒い重そうな雲に反射して
この世のものとは思えない美しさを見せる。
ツバメの子を一瞬見て雲を振り返るともう一瞬前の色はそこにはなく
見たこともない風景だけが過ぎ去っていく。
固定されているとしか思えない、硬い紅から立体的な紫へ。
最後は匂いたつような萌黄、そして暗さを増して明度を失って薄黄は闇に消えていった。


その時間まで、ひたすら見とれて自分の中に色と大きさが入っていったような。


そしてライブだ。
数日前までこの日何をするかかなり迷っていた。
また独り、前回の様にエレクトロニクスを使うか、曲をやるか、即興をやるか。
ここのところblowbass(増幅したエレクトロニクスtuba)ばかりでダンサブルなものばかりやっていた。
ダンス的なものは大好きで、自分の中心にあるのだが、電気とダンスすると自分の一つの面しか
出せないことが多い。
この日はそうでない、そのままの生でいくことにした。
音だけでなく生身の。
ステージひとつに途切れ目はなく、あえてプログラムも考えず、即興にも楽曲にも縛られない。
好きな歌が出てきたら歌うだけ。


2部の後半にそれは起きた。
アレが来る予兆。
アレは意識して頑張っても来ない最高の瞬間。
肺や喉や舌や脳が、ガチンと繋がっていく。
体はむしろしんどいことになっている。
フレーズは早く、息は苦しい。
ただドレミファを高速で吹いている即興演奏の中でアレが来た。


マウスピースの感触が消える。
そこから先のtubaのイメージが消えていく。
体の感触がなくなる。
息は苦しいのにいくらでも続いていく。
tubaは口から先に糸のようなものになってしまったような感覚。
自分の意思なのだがもはや自分のものでないような。
時間の感覚がなくなる、まわりになにがあるのかも分からなくなる。
音は、いくらでも、出続ける。
自意識が消える、非常にまれな身体感覚。
これのまま、2ステージを終える。


演奏がどうだったのか、自分にはよく分からない。
よく今の音楽のシーンで言われる、「気持ちよかった」なんてものではない。
たぶんトランスでもオートエクリチュールでもない。
自分の中の感覚がごそっと丸ごと入れ替わるような明らかな変容。
情緒的、感情的なものではなく、おそらく化学的なものだと思う。
ともあれ
この感覚に独りっきりで、人前で、こんな長時間なったことはいまだかつてなかった。
非常に貴重なライブだった。