イグアナツイギーポップ前夜

daysuke2006-11-29

デグルチーニ
http://osaka.cool.ne.jp/deguruechienie/

デグルチーニ待望の初CD『イグアナツイギーポップ』の発売記念ライブ。
メンバーの一部は前日から会場に泊まり込み準備に余念がない。


このアルバム、相当時間と手間とそれ以上の何かがこもっている。
今のご時勢のレコードの作り方とは思えないほどだ。
勿論今の技術の恩恵はあるのだが、
まず形のないものを、どうにか形にする、そんなシンプルで大事なことを
たくさん見せてもらった。
幻を愛するということの真摯さ。


僕がこの音源に参加し始めたのはいったいいつだろう。
よく覚えているのは渋さのヨーロッパツアーに行く直前のある日に
家から歩いてすぐのスタジオに昼休み程度の時間しかない録音時間を使って
重ね取りしたときのことだ。
楽譜もガイドもない、近くではアルコデグルチーニが何かの印象を歌っている。
それを苦労して形にした。
忘れられないひと時だ。
長いときを経て銀板の形になったことはとても感慨深い。


さて当日は昼に入り。
三々五々集まるメンバー、泊まり込みメンバー。
寝不足気味の首領。
楽屋にはケータリングありは豪華だ。


レコーディングエンジニアの林さんがPA担当。
我らの音を熟知している彼のチェックは早い。


会場には様々な装飾が施されている。
無数にぶら下がる蝙蝠の群れ。
PA席近くには時計がつるされた小屋。
舞台前には吊り下げられた白い幕。
これらの効果は後に盛大に演出する。
 
 

曲の細々とした部分を追うのに必死で気がつけば時間は過ぎ開場。
あわてて楽屋に逃げる。


前日の不吉な噂を裏切り開場には溢れんばかりの人人人。
なんだか柄の悪さがぷんぷんしてる。
ソフトハードコア。


楽屋にはたくさんの友人たちがワイン片手にやってきて
おめでとう、と祝いにやってくる。
そうだ、これはレコードの誕生日。
おめでとう、と言うのが非常にフィットしている。
待望されたアルバムが誕生したという喜びに。
14年近い音楽人生ではじめて味わったような気分。
そう、おめでとうなのだ。


開演は少し押し、楽屋にはワインが積み重ねられる。
めいいっぱい美しく着飾ったご婦人たちが嬌声とともにやってくる。
こんな素敵な楽屋は見たことがない。
出る直前に、信じられんことに皆で円陣を組む。
デグルチーニが彼の言葉で煙に巻くように号令を。
皆が手を合わせ、篭める。
形だけじゃない、円陣。


シャングリラには幕がある。
左右に開き姿を現すがデグルチーニのライブはほとんど闇の中で
行われると思っても良い。
目を凝らす中にいる我ら、耳を澄ますとあらゆるものが聴こえてくる。
音の細々したことを書く気になれない。
暗闇の中から流れる、猛烈な、ムード。


1部のようなものが終わって数分後に一人出番。
カウンターの前の柵の中で完全アコースティックソロtuba。
人を掻き分け場に向かうと偶然だがそのあたりは我らが谷町の友人たちや
古い友人たちに囲まれていた。
勿論この出し物はシークレットだ。
高いスツールに腰掛け、息を装弾する。
味方のような敵は目の前に150人ほどか、
マイクなし生のtubaで撃ちまくらねばならぬ。


しっとりはじめようかなどと考えてはいたものの、
大して静まらないざわざわの喧騒の中をtubaで止めるなんて、無理。
全力で飛ばさねば、ならぬ。
冬の150人というのはよく音を吸うもんだ。
上着を貫くために思いっきり吹く。
とてもじゃないけど目なんか開けてられない。
遠くから近くから新旧入り混じった友人たちの歓声が援護射撃。
こんなド変態、どこにもないだろう。20分循環演奏。
何も考えてなかった、最後は吹きながら歌い
イグアナーツイギーポップ!ポップ!ポップ!ポップ!
と叫んで、誕生を呪いのように祝い感謝して退場。


デグルチーニから賛辞あり。
演奏中、彼が反応して歌う声がありがたかった。


そして2部へ。
まだ息の上がる汗びしょのまま入る。
ゲストのマキ凛花がお祝いの花を添える。
突然開場は全部暗転。
あちこち四方八方から無数の時計の音が乱舞する。
永遠に続くような音の中から
男組、と称されたデグルチーニとイーノ・ロータ、大川銃咲く、なっかんが
PA前の小屋で演奏。
がらっと変わった雰囲気、光り輝く装飾の小屋からデグルチーニ
拡声器がかすれたように喚く。


小屋が消えるとステージには女組と称されたハタノさんとヤブリンコーネ(♂)が
シャンソンの奇形のようなものをデュオ。
そのまま全員がステージになだれ込み最後へ。


ラストの小人コアで勢いよく本編終わる、はずがでぐっちゃん、
ここで変なことを言い勢い失速、アンコールに行きそびれる会場を見て
我らは裏でずっこけ爆笑。
決まりきらない、ここらへんまで、非常にデグルチーニらしい。


彼のひそやかにして美しい、いつぞやの日々。
俺は一生忘れないだろう心に刻む名曲。
こんな気持ちがあれば、生きていける、というような。


わーっとアンコールに変な風にもつれ込んで。
どうやって終わったっけ?
夜は終わった。


谷町のコントロールタワー・ポコペンから送られたお祝いの
バナナの花を前にして感謝の意を述べ、山のように飲んだ。
美酒だ。


僕はただのゲストプレイヤーだ。
しかしこの場にいれて彼らの演奏に一花添えられて
本当に幸せだった。
自分の表現に自信を持ってよいか悩む人よ、
デグルチーニを聞くが良い。
悩み迷い考えながらでも人は自分の中の幻を愛し
作り上げることが出来る
彼と彼らとこの音楽がその証だ。
イグアナツイギーポップに乾杯を。